スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

通州事件その他で「戦時復仇」は成立するか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14105335839
shpfive
『これによると「国際法学者」佐藤和男氏は「戦時復仇」について「通州事件」にふれています。
しかし「通州事件」は中華民国政府と、少なくとも直接の関係はありません。
あくまでも冀東防共自治政府の保安隊による反乱事件であり、事件自体も冀東政権による賠償により「解決済」となっています。
他にも佐藤和男氏の「論文」については、当時の「南京の実情」について把握していないのではないか?
と思える点が多いです。
皆様はどのようにお考えですか?』

佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/16.html
『学説上では、助命を拒否できる若干の場合のあることが広く認められている。(P314)
 第一は、(省略)
 第二に、相手側の交戦法規違反に対する戦時復仇としての助命拒否であり、相手方の助命拒否に対する復仇としての助命拒否の場合もある。
 一般に戦時復仇とは、交戦国が敵国の違法な戦争行為を止めさせるために、自らも違法な戦争行為に訴えて敵国に仕返しをすることをいう。前出『オッペンハイム国際法論』第二巻(第四版・一九二六年)は「捕虜が、敵 側の行った違法な戦争行為への復仇の対象にされ得ることには、ほとんど疑いがない」と述べている。一九二九年捕虜条約は新機軸を打ち出して、捕虜を復仇の対象とすることを 禁止した。
 第三は、(中略)
支那側の数々の違法行為(通州事件を含む)に対する復仇の可能性、和平開城の勧告を拒絶して、結果的に自国の多数の良民や兵士を悲惨な状態に陥れた支那政府首脳部の責任、右の勧告を拒絶されながら、防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制した日本軍の態度、など関連して検討すべき法的問題点はなお少なくない。』

以下、私の回答です。
>しかし「通州事件」は中華民国政府と、少なくとも直接の関係はありません。

たとえそうだとしても、「中国人が」「無辜の日本人を」「大量虐殺した」という事実はまちがいありません。

いっぽう、南京での中国兵の大量処断は、国民党軍の兵士であって、共産党軍の兵士ではありません。

むしろ、関係ないのは「中国共産党」と「南京事件の中国兵処断」といえます。中国共産党が日本政府を「南京での国民党兵士大量処断」で批難することができるわけがありません。むしろ感謝すべきでしょ?毛沢東も感謝してますが。

中国共産党は国民党を「政府継承」したのか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-961.html

そんなものは「南京事件」とは言えないのです。そもそも戦場で兵士が死んで「事件」ってなんですか?


>あくまでも冀東防共自治政府の保安隊による反乱事件であり、事件自体も冀東政権による賠償により「解決済」となっています。

もしも、金さえ払えば文句ないだろ?と言うつもりなら、中国共産党は賠償を放棄しながら未だに多額のODAを受け取っているのですから、「文句ないだろ?」とお返しします。
なにしろ「解決済」のことを蒸し返しているのが他ならぬ中国共産党なんですからね(笑
これも「復仇」でしょうか?(笑


「解決済」と言っても、通州事件の後も、廊坊事件、広安門事件、そして第二次上海事変と、日本を挑発し続けていました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n14697

兵藤二十八(軍学者) 別冊正論Extra.08より
『それにしても、1932年の第一次上海事変の停戦協定で「陣地や軍事施設を相互に建設してはならない」と取り決めた中立地帯にどんどんトーチカを築いてしまったのですから、シナ人の「契約軽視」思想は恐るべきものです。外国軍の近くで塹壕を掘るという行為がどのくらい挑発的なものか、現代人はわからなくなっています。』

中国軍の偽装投降の事例
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Giso.html#b

『民間人3000人以上の死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明した。』
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n14697

このとおり、「戦時復仇」は通州事件だけではないのです。

あたりまえのことですが、日中間では過去のことは「解決済」です。

shpfive
>信夫淳平氏は同じく『戦時国際法提要』(上)P558-559でハーグ陸戦条約第23条ハ号について、人道上当然の要求であり、法理もまたこれを命じる、という趣旨を述べていますが、そこはスルーですか?

人道上当然の要求ですよ。あたりまえでしょ?
でも非人道的な相手に対しても人道的対応に縛られるのが「国際法」だというのなら間違いです。あくまでも「公正・公平」が国際法の目的です。非人道的な相手に対しては「戦時復仇」が認められるのが「公正・公平」な国際法ということです。

あたりまえでしょ?

たとえば柔道やボクシングで相手が重大な反則をすれば審判によって試合を止めて違反者を即失格にして勝敗を決することができますが、戦争(事変)では審判のような試合(戦闘)を止められる第三者が存在しません。ですから交戦法規違反の相手には交戦法規の縛りを緩めざるを得ないのは当然のことなのです。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-875.html



***以下は余談です。

>他にも佐藤和男氏の「論文」については、当時の「南京の実情」について把握していないのではないか?

あなたは「国際法学者」の見解に疑問を投げかけておられますが、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12103868252
このように「歴史学者」という線引きを都合よく利用しておいて、「国際法学者」という線引きはスルーするのはなぜでしょうか?
あなたにはすくなくとも「中国兵の大量処断は不法殺害だ」という資格が無いように思えますがいかがでしょうか?

事実、このように述べてらっしゃることですし。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1076222830
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1274778437
『なお私は、仮に南京大虐殺が全て真実だったとしても、その責任は南京防衛の最高責任者であった唐生智にある、と考えます。』
『また中国側は最後まで降伏しておらず、両国間で休戦の合意(ハーグ36、37条)もされていないため、南京が陥落した後も戦闘は継続していたと解釈できます。』
『また中国軍は全面降伏していませんから敗残兵の多くは投降と見なされませんでした。』


>信夫淳平『戦時国際法提要』(上)より
>『俘虜捕獲者が多数の俘虜を安全に警護する能はず将た給養する能はずとか、又は敵が間もなく形勢を盛返して俘虜を奪回するやも知れずとかの単なる事実は、捕獲者側に真箇の死活的危険があるに非ざる限り、未だ以て助命の拒絶を正当視せしむるに足らざることを銘記するを要する。』


補給が困難だと言うことだけで助命拒絶を正当化するには不十分だ、と言っているだけで、「南京事件は不法殺害だ」と言っているわけではありません。
ましてや国際法ではなく、"学説"ですから。

信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕
『乞降は多くは白旗を挙げて合図するが、その白旗は之を挙げたる軍隊に限り、且その隊所属の各兵が悉く抵抗を止めたる場合に限り保護の効あるもので、たとひ之を挙ぐるにしても、スペイトが云へる如く、『戦闘の酣なる際に敵兵中の小部分が白旗を挙ぐるも、大部分が尚ほ依然抵抗する間は、攻撃側の指揮官は何等之を顧念するを要せずと為すのを最安全の法則』(Spaight, Land War, p.93)と見るべきである。いや反対に、大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。』

このとおり、たとえ大部分が服従したとしても小部分が敵対してきたら統制がとれていないわけですから、「交戦資格四条件」の第一「部下の責任を負う指揮官」が存在しないこととになり、捕虜としての待遇を受けられません。

自分の都合の良いところだけ引っ張り出して、「不法殺害だ」と主張するのはもう聞き飽きました。

http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-871.html
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-932.html
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-869.html

ところで、中国兵を大量処断した部隊もあれば、そうでなかった部隊もあることはご存じでしょうか?

『なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和13年1月6日に「3670人も居るそうだ」と第一六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和12年ころ上海に送られたものとみられ、残りが、汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。』
本当はこうだった南京事件/板倉由明より p387

この違いはどこにあると思いますか?

私は、「部下の責任を負う指揮官」の存在ではないか、と考えています。


どうして原爆投下は重慶爆撃に対する「戦時復仇」になりえるんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113074603

中国共産党は国民党を「政府継承」したのか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-961.html


トップへ ”南京大虐殺”のまとめ 責任者は蒋介石・唐生智 日本は無罪
スポンサーサイト

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

http://twilog.org/nomorepropagand

人気ブログランキングへ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
リンク
相互リンク歓迎いたします。左翼の方も大歓迎です。
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。