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歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』

『歩六六-Ⅰの戦闘詳報には、大きく見て三つの不審な点がある。その1は軍司令部から大隊への命令の流れに時間的乱れがあること、その2は記述された戦闘状況が客観状況とは甚だしく異なる場合があること、その3は文中の日付が特定できない場合があること、などである。(中略)
以上大別三つの疑問の箇所のほとんどが、命令による捕虜処断を行ったとされる記述の前後に集中していることは、単なる誤記ではなく、ほとんどが後日辻褄合わせをした際の失敗のように思われ、この戦闘詳報の信頼性を著しく低下させている。これはⅠ大隊長の独断行動を後日命令の形に直すことに付随して生じた不整合とも考えられる。
ただし歩六六-Ⅰが十三日夜、捕虜を殺害したことは事実である。この捕虜は生命を保証して投降させたものといわれ、そうだとすれば卑劣な行為である。人数は師団戦闘詳報では1500人程度だが、三個中隊250人程度ではとてもそんなには、というのが中隊員の証言(高松半市氏)で、話半分と言うべきだろうか。殺害を命じる旅団命令は奇妙な形式だし、第一中隊は殺害に失敗しているがその後の処置は記されていない。』
>板倉由明著「本当はこうだった南京事件」p126より

板倉氏の説はこちら(虐殺派の見解です)

城壘17 戦闘詳報を記載したのは誰 阿羅健一氏
高松伍長が所属していた宇都宮第六十六連隊第一大隊の戦闘詳報について
『この戦闘詳報を見たほとんどの人は、噂にのぼっていた捕虜処刑についてやはり軍命令があったのかと思った。だから南京虐殺があったと主張する人が、これこそ捕虜虐殺の決定的証拠である、と指摘するのも当然である。
 ところで、この資料が公開されると、軍人だった人の中から、公式文書とはいえ史料点検が行われなければならない、公式文書の形をとっているとはいえそれだけで全面的に信用できるものであろうか、という声があがった。
 というのは、まず、数多く残っている南京攻略戦の戦闘詳報や命令綴には、上級指揮官が軍紀厳正を要求している命令はあっても、捕虜を殺せなどという命令は全くない。この戦闘詳報だけは例外であり、不自然である。だから確かめなくてはならないというのだ。
 ある軍人は、この戦闘詳報を見て、
 「只々驚く他なく、戦闘詳報の記事は異常のものとして論じようもありません」と述べた。それほど当時の軍の命令を知っている人にとっては信じられない内容である。
 次に、一般に言って陣中日記、戦闘詳報といったものは、戦闘中であれば砲弾の飛ぶ中でメモされたものを基にして後に書かれる。その際、記録すべき者が戦死などして、戦闘に参加していない者がまとめることがある。その上、生死をかけたものであるから、敵の戦死者を多くみつもりがちだとか、実際以上に激しい戦闘があったとか、それだけにとどまらず、攻撃していないのに攻撃している、占領していないのに占領していると書かれる場合もある。こういうことが経験的に知られていた。
 そのため、形の上では公式文書てあるが、そのまま鵜呑みにできない。ましてまだ証言者のいることであるから証言によって確認しなければならないというのだ。この意見は、中隊長など実戦て指導を取り戦闘詳報と実際の戦場との差を知っている人に多かった。』

城壘18 戦闘詳報に驚く元中隊長 阿羅健一氏
『手塚中隊長は、偕行社が南京事件を調査するようになったため、南京ではそういうことがあったらしく、しかも事件と関係ある記述が第一大隊の戦闘詳報に記載されているということは聞いていたが、戦闘詳報を見るのははじめてだという。年が年であるからめったに驚くようなこともないと思われるが、戦闘詳報の内容には相当驚いたようである。公式文書に書いてあるのだから驚くのも当然かもしれない。
 しばらくして、「こういうことがあったのかねえ」と言った。部隊の行動を記録しているはずの戦闘詳報だから否定するわけにはいかない。しかし、記述されていることはとても信じられない。信じたらよいのか、間違いだと決めていいのか、まよっているようである。』

城壘19 存在しなかった戦闘詳報!? 阿羅健一氏
『 第一大隊戦闘詳報には「最初の捕虜を得たる際、隊長は三名を伝令として抵抗を断念して投降せば助命する旨を含んで派遣せるに」とあり、このときの隊長とは一刈大隊長ではなく小宅小隊長代理のことであることが分かったが、小宅小隊長代理は、捕虜を捕らえたのは確かだが三人を伝令に出したりとかそういうことは一切なかったという。
 そして、中国兵を捕らえた小宅小隊長代理が捕虜虐殺命令を出したことも、そのような考えを持っていなかったことも分かった。』

城壘20 元第二大隊副官の証言 阿羅健一氏
『 もう一人、栃木新聞に「野州兵団の軌跡」を書いた高橋文雄氏の話である。
 「私か六十六連隊史を書いたとき、連隊は郷土の名誉ですから栄光の記録を書くつもりでいました。第一大隊戦闘詳報は当然見ていましたが、捕虜のことは兵隊だった人から聞いたことはありませんでしたし、私も聞こうとはしませんでした。
 第一大隊戦闘詳報にある捕虜に関してはどの程度正確か分かりませんが、記録は実際残っているものですから、それは資料を使う人の自由だと思います。
 私が思うに、戦闘詳報は名誉の記録でもありますから、戦果を誇大に書くことがあります。捕虜に関しても武士の時代から捕虜、首級を競うということがありましたから、第一大隊戦闘詳報は誇大に書きしるしたものだと思います。
 これを書いた人は、今、こんな風に取られているとは夢にも思わなかったでしょう」 』



http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/nanking-jiken-9-4.html
5 その他の出来事 (1)雨下門外 第66連隊 第1大隊(114師団)

第一戦闘詳報関連

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テーマ : 歴史
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アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
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