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ベイツ・レポート

http://nanjinggenpatsu.com/timperleyjchap1.html

次の文章には、日本軍の南京突入直後の事件が、簡潔鮮明に描かれているが、これは南京在住の一外国人が上海の友人に送った十二月十五日付の手紙からとったものである。この人は南京の外国人の間でもっとも尊敬されている人であり、その公正な態度で知られている。

「南京では日本軍はすでにかなり評判を落しており、中国市民の尊敬と外国人の評価を得るせっかくの機会さえ無にしてしまいました。中国側当局の不面目な瓦解と南京地区における中国軍の壊滅によって、ここに残った多くの人びとは、日本側が高言している秩序と組織に応じようとしました。日本軍の入城によって戦争の緊張状態と当面の爆撃の危険が終結したかと見えたとき、安心した気持を示した住民も多かったのです。少なくとも住民たちは無秩序な中国軍を恐れることはなくなりましたが、実際には、中国軍は市の大部分にたいした損害も与えずに出ていったのです。

しかし二日すると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をも含む家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまいました。市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。南京の中心部では、昨日は一区画ごとに一個の死体がかぞえられたほどです。死亡した市民の大部分は、十三日午後と夜、つまり日本軍が進入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした。恐怖と興奮にかられてかけ出すもの、日が暮れてから路上で巡警につかまったものは、だれでも即座に殺されたようでした。その苛酷さはほとんど弁解の余地のないものでした。南京安全区でも他と同様に、このような蛮行が行なわれており、多くの例が、外国人および立派な中国人によって、はっきりと目撃されています。銃剣による負傷の若干は残虐きわまりないものでした。

元中国兵として日本軍によって引き出された数組の男たちは、数珠つなぎにしばりあげられて射殺されました。これらの兵士たちは武器をすてており、軍服さえぬぎすてていたものもいました。そういうわけで、略奪品や装備の臨時運送人として使役するためにどこかでひろいあげてきた男たちを除けば、実際にあるいは明らかに処刑の途上にある、このような集団以外には、日本軍の手中には捕虜の影さえも見られませんでした。難民区内のある建物から、日本兵に脅迫された地元の警官によって、四〇〇人が引き出され、五〇人ずつ一組に縛られ、小銃をもった兵隊と機関銃をもった兵隊にはさまれて護送されてゆきました。目撃者にどんな説明がされても、これらの人びとの最期は一目瞭然でした。

目抜き通りでは、中国兵が主として食料品店や保護されていないウインドウなどからこまごました略奪を行なっていましたが、それが、日本軍の将校の監視の下で店先から店先へと移る組織的破壊にとって代わられました。日本兵は、大荷物を背負って人を押分けてゆく手助けに運送人を必要としました。まず食料を求めたのですが、やがて、その他の日用品や貴重品もやられました。市内全域の無数の家が、人が住んでいようがいまいが、大小かまわず、中国人の家も外国人の家も、まんべんなく略奪されました。次に述べるものは兵士による強盗の特に恥知らずな例です。集団捜査が行なわれるうちに、収容所や避難所の多数の難民は、わずかな所有物のうちからさえもお金や貴重品を奪われました。大学附属の鼓楼医院職員は直接、現金や時計を奪われ、また看護婦宿舎からもその他の所持品が奪いとられました。(これらの建物はアメリカ人資産で、やはり略奪されたほかの国の建物と同様に、自国旗を掲げており、また大使館の布告がはってあったものです。)日本軍は旗を引きおろしてから自動車や他の財産を強奪しました。

婦女強姦・凌辱の例も数多く報告されていますが、まだそれを細かに調査している時間がありませんでした。しかし次のような例は事態を示すに十分であります。私たちの外国の友人の一人の近くにある一軒の家から、昨日、四人の少女が兵士たちに誘拐されました。外国人たちは、市内の一般住民から実際上放棄されてしまった場所にある、新たに到着した将校の宿舎に八人の若い娘がいるのを見ました。

このような状況下での恐怖状態は筆につくすこともできませんし、もの柔らかな将校たちが口にする〝戦争をする唯一の目的は、中国人民を救うために圧制者である中国政府と戦うことである″という言葉をきくと、まったく吐き気をもよおすほどです。

南京で示されているこの身の毛もよだつような状態は日本帝国の最良の達成を示すものでないことは確かですし、これにたいして責任を負う日本の政治家・軍人・一般市民がいるにはちがいありません。これらの人びとは、ここいく日かが中国における日本の立場におよぼした害悪を、自らの国益のためには即座に矯正することでしょう。職業軍人として日本帝国にふさわしい、紳士としてふるまった兵士や将校も個々にはおりました。しかし、全体の行動はひどいものでした。」

以上)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-5/ad1938e2.htm
『・他の3人は、自らの見聞したことを中心に記事を書いており、上の2人に比べれば穏健であるが、マイナー・ベイツ教授から渡されたレポートの影響も受けているようだ。(出典:東中野修道著「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」p107-113)』


http://nanjinggenpatsu.com/victimreportlatter.html
『以下にかかげる日本側当局に報告された暴行事件例の抜粋は、一月十四日から二月九日にかけてのもので、これによって日本軍の南京占領後二カ月間に何が起こったかがあますところなくあきらかにされる。』

http://nanjinggenpatsu.com/timperleyjappendixa.html
『なお注意してほしいことは、ここに記録された事件はただ南京安全区内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上、無人地帯となっていたのであって、この期間中、ほとんど外国人の目撃者がなかったということである。』

『…『安全地帯の記録』の事例の編集に関与したベイツはティンパーリーを通して『戦争とは何か』のなかで次の重要なコメントを『安全地帯の記録』についてしている。
①『安全地帯の記録』の事件は日本軍の南京占領後の二ヶ月間に何が起こったかが余すところなく明らかにされる。
②『安全地帯の記録』の事件は、安全地帯内だけのもので、南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上無人地帯で、外国人の目撃者はなかった。
③…省略…』
(冨澤繁信著『南京事件の核心』より)
※「ベイツ」=M.S.ベーツは南京安全区国際委員会の一員で、1938年と1946年には蒋介石より勲章を授かっている。中華民国政府の顧問。

Japanese terror in China, compiled and edited by H. J. Timperley.
http://catalog.hathitrust.org/Record/001258612
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
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