幕府山事件と「審問なき処罰の禁止」について~戦時国際法上合法説

※全てのリンク先を読む必要はありませんが、【重要リンク】については是非とも目を通してください。

1.国際慣習法で禁止されていた「審問なき処罰の禁止」とは

いまなお、「南京事件」肯定派は、南京での捕虜の殺害を批難し続けています。いまだに、虐殺だ!と外交カードに使うからにはきっと「戦争犯罪」なのでしょうが、その根拠は「裁判をせずに殺した」くらいしか聞こえてきません。なんと争点は、裁判をしたか否か(もしくは裁判が必要だったか否か)、なんです。「はぁ?」て感じですよね。幕府山事件の場合は銃殺された全員が「戦場での敵兵士」だったのですから、批難できるとしたらそこしかありませんからね。

さて、捕らえた敵兵を裁判をせずに処罰すれば「戦争犯罪」でしょうか?
「戦争犯罪」というからには、罪刑法定主義を無視しては議論は成立しません。
罪刑法定主義の派生原理として
「法の不遡及(事後法の禁止)」「慣習刑法の禁止」
などがあります。
・事後に法規をつくり遡及して罰することはできない
・慣習法としての刑法が禁止されている(明文化が必要)
などの大前提があるのです。

1937年当時、裁判をせずに敵兵を処罰したら犯罪とする国際法(条約)があったのでしょうか?

【答え】ありませんでした。

=> http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_01.html
『陸戦規則、俘虜条約、第三条約、議定書Ⅰを比較すれば分かるとおり、条約上では、明らかに捕虜として処遇される資格を持たない者を処罰する際に裁判が必須とされたのは1977年の議定書Ⅰからであり、第三条約も発効していない1937年当時は、捕虜資格が疑わしい敵対者を捕獲した際、捕虜資格の有無を裁判で決しなければならないという規定も存在していませんでした。』

ただし、

立作太郎「戦時国際法論」1938年
『凡そ戰時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戰國の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして處罰を爲すことは、現時の國際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。』

立作太郎「戦時国際法論」1944年本格改訂
『凡そ戦時犯罪人は、軍事裁判所又は交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども一旦権内に入れる後※全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。』
の意味については後で触れます。

このように、国際法学者の「戦時犯罪人も全然審問せずに処罰することは禁止されている、という国際慣習法がある」という「学説」は存在しました。

では慣習法として確立していたのか?
=> http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_01.html
『戦時犯罪人を処罰する際に裁判にかけなければならないという理念は、戦勝国の都合次第で否定されたり肯定されたりする程度の、未成熟な代物だったのです。…
 この第三条約第85条により、戦時犯罪人を処罰するには裁判にかけなければならないという原則は、ようやく明確なものとなりました。それ以前においては、学説的には合意が形成されていたとしても、現実の国際政治・軍事・司法の中では、あやふやでいい加減で到底国際慣習として確立されていたとは言えない状態でした。疑いなく捕虜としての資格を持っていた日本人戦犯容疑者に対してすらこの有様です。捕虜としての処遇を受ける資格のない便衣兵※の処分において、裁判が必須だったという主張は、少なくとも史実の中では肯定され得ません。』
※「幕府山事件の敗残兵」と読み替えてください。

このように、慣習法としても「未成熟な代物」でした。

ようするに、戦時犯罪人を処罰する際に裁判にかけなければならないという決まりは国際法(条約)には無く、「未成熟な」国際慣習法で「戦時犯罪人を処罰する前の審問」という手続きが求められていただけです。
日本の法規でたとえれば、「刑法上の法規は無いが、慣習法で”安全運転”が求められている」といったような感じでしょうか。


2.国際慣習法の要求を満たしていたのか

幕府山事件における中国兵の大量処断は、国際慣習法の要求を満たしていたのでしょうか?

宣誓に依らざる解放」(自衛発砲説)の”失敗”であったというのが「幕府山事件」の実態なのですが、従来の見解と矛盾する日記群が大虐殺肯定派の小野賢二氏により発掘されています。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-824.html
※これらの日記群は、重要でない2名を除いてすべてが仮名で非公開です。

そのためか、南京事件肯定派が「南京事件」の筆頭としてこの「幕府山事件」を挙げているのが現状です。したがって、ここでは「宣誓に依らざる解放」を採用せずにその是非を検討することにします。

a.交戦資格があったか?
b.「捕虜」だったのか?
c.審問は行われたのか?

この3点について検討してみましょう。


a.交戦資格があったか?

司令長官の唐生智は12日に南京から逃亡していました。以降は中国側の戦闘員は全員が交戦資格を満たしていませんでした。そして、交戦資格を満たさないということは、彼らは「捕虜」としての権利を享受できない戦時重犯罪人であった、ということです。

参考)交戦資格四条件(ハーグ陸戦条約附属書)
第一条 戦争の法規および権利義務は、単にこれを軍に適用するのみならず、左の条件を具備する民兵および義勇兵団にもまたこれを適用す。
一  部下の為に責任を負う者その頭に在ること ←コレ
二  遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること
三  公然兵器を携帯すること
四  その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること

参考)田畑茂二郎「新訂国際法」(下)203ページ
『交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない』

参考)信夫淳平「上海戦と国際法」125ページ
『非交戦者の行為としては、その資格なきになおかつ敵対行為を敢てするが如き、いづれも戦時重罪犯の下に、死刑、もしくは死刑に近き重罪に処せらるるのが戦時公法の認むる一般の慣例である』

http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/25.html
参考)立作太郎『戦時国際法論』日本評論社 1931年 P54
『上述の正規の兵力に属する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵団に必要とする後述の四条件を備へざることを得るものではない。正規の兵力たるときは、是等の条件は、当然之を具備するものと思惟せらるるのである。正規の兵力に属する者が、是等の条件を欠くときは、交戦者たるの特権を失ふに至るのである。
参考)信夫淳平『上海戦と国際法』丸善 1932年 P114
『 現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、第一には正規兵、第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、(三)公然兵器を携帯し、(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守するといふ四条件を具備するもの(正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である)

【重要リンク】南京の中国兵は交戦資格を有していたのか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-932.html
どうしても「交戦資格を満たしていた」と主張したいのであれば、幕府山事件で全体8000人を統制することができた「指揮官」の名前とその統率力を示す実例を示さなければいけませんね。


b.「捕虜」だったのか?

参考)ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則)
 第四条 俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。

国際法(ハーグ陸戦条約)によると「捕虜」は、政府の権内に属する、とあります。冒頭に示した、立作太郎「戦時国際法論」(1944年本格改訂)の「一旦権内に入れる後※」と同じ「権内」という言葉が使われていますが、これはどういう意味でしょうか?

佐藤和男『南京事件と戦時国際法』より
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/16.html
「敵ニ捕へラレタル者」が交戦者としての適法の資格を欠く場合には、単なる被捕獲者に過ぎず、国際法上正当な捕虜であり得ないことは理論上明白であるが、現実の戦場でのこの点についての識別が実際上困難な場合もあり、紛糾を生ずる原因ともなり易い。 』
『一九四九年捕虜条約は、一九二〇~三〇年代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、少なくとも右(ジュネーブ第三条約)の第五条に見られる「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」※(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らないことを示唆している点において、注目に値しよう。』
※→【一旦権内に入れる後】

足立純夫『現代戦争法規論』より
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_01.html
『…1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し…』

内海愛子は、「日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取扱細則」による「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となった」と述べています。

つまり、南京事件当時の国際法では、捕獲された敵兵は必ずしも条約で保護される「捕虜」とはならなかった、いつから「捕虜」にするのかは軍指揮官の自由裁量だった、正規の俘虜収容所に収容されて(権内に入って)はじめて「捕虜」になった、ということです。

当時の国際法の要求はわかりましたが、実際の運用はどうだったのでしょうか?

立川京一は、「東京裁判に提出された武藤章(支那事変発生当時、参謀本部第1部第3課長)の尋問調書(1946 年4 月16 日付)によれば、1938 年に「中国人ノ捕ヘラレタル者ハ俘虜トシテ取扱ハレナイトイフ事ガ決定」されている。つまり、陸軍は、戦争ではない支那事変では捕虜そのものを捕らないという方針を採用、したがって、正式の捕虜収容所も設けなかった。」と述べています。

つまり、幕府山の敗残兵は全員「捕虜」ではなかった、ということです。

なるほどこれで、中島今朝吾師団長の『捕虜ハセヌ方針ナレバ』の意味が理解できましたね。

「捕虜」か否かは条約に定められた保護を受けられるか否かに関わりますが、国際慣習法が要求する審問を受ける権利があるかどうかにも関わってきます。(後述)

兵士が「捕虜」と呼んだら(日記に書いたら)「捕虜」になれるのか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-869.html


c.審問は行われたのか?

http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Bakufu.html
『・・・・第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千余を収容した。ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、・・・・』(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)
『この時点における第65連隊の実働兵力は『証言による「南京戦史」』では約1500、『南京の氷雨』では約2200、当初捕獲した捕虜はその7~10倍弱です。占領したばかりの敵地に十分な収容施設が用意されているはずもありません。』

このとおり非戦闘員は釈放していました。そして非戦闘員さえ釈放すれば、残りは戦闘員であり、当時の南京の中国側戦闘員はすべて交戦資格は無かったことは既に述べた通りです。よって非戦闘員の選別をもって審問はなされていたと解釈できます。
(なお、この場合の「非戦闘員」とは、純粋な民間人ではなく雑兵や苦力(くーりー)など軍を構成する非戦闘員、と私は解釈しています。中国軍兵力推定表(板倉由明氏「本当はこうだった南京事件」p182)にも中国軍全体の4割程度が雑兵であったとのことです。)

『…全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる…』(立作太郎『戦時国際法論』)

全然審問をしなかったわけじゃないからOKでしょ?
日本軍としても、雑兵など非戦闘員は出来るだけ解放して敵兵収容にともなう負担を軽減させたかったというのが実情だったでしょう。

『軍法会議も軍律会議も、本来少人数の違反者を想定したもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判したり審判することは、現実として能力的に不可能であった…』(軍事史研究家 原剛)

審問には特定の手続法とては無く、従って手続法に違ふたるの故を以て被告を免訴するといふ普通の裁判とは異なる。又審問に記録を取るも取らざるも可なりで、宣告の効力には関係が無い。』(信夫淳平「戦時国際法講義第二巻」)

国際法の基本的な大原則の一つに、「疑わしきは主権に有利に解釈せらるべし」というのがある。(小室直樹)

戦闘はまだ継続していたのが実態であり軍律裁判をする必要はなかったのですが、戦闘休止状態だったと仮定しても、軍律裁判を実施することは『現実として能力的に不可能であった』わけで、したがって軍律裁判よりももっと簡易な「審問」によって戦闘員と非戦闘員の分離が行われた、と私は解釈しています。

幕府山事件の8000人は、a.で説明したように、集団として交戦資格が無かった、つまり「部下の責任を負う指揮官」が居なかったことが「火災起り非常なる騒ぎ」で明らかだったのですから、もはやそれ以上の手続きは必要なかったと言ってもいいでしょう。

宮本省吾陣中日記12月16日
『警戒の厳重は益々加はりそれでも〔午〕前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも疎の間で午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕虜兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ光景である。』
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Bakufu.html


※写真は『アサヒグラフ 支那戦線写真』に掲載されたもので、「両角部隊によって南京城外部落 に収容された捕虜の一部(12月16日上野特派員撮影) 」と説明がついています。大変な数の投降兵のわりに日本兵の少なさが目につきます。

そのうえ、幕府山事件という前例のない大量投降事件を踏まえて改訂された1944年本格改訂版「戦時国際法論」(本稿冒頭参照)によれば、国際慣習法は、「捕虜」でなければ審問を行う義務はない、と緩和されたのです。「捕虜」でない敵兵に対しては努力義務「およそ…審問すべき」という学説に過ぎなかったのです。
Σ(゚Д゚)ガーン

国際慣習法が緩和されるとはどういう意味でしょうか?

戦場での現実を考慮して、従来の要求が酷な場合があることを各国の国際法の権威が確認し合った、という意味ではないでしょうか?つまり、幕府山事件のようなケースで審問を要求するのは適当でないという国際法学者のコンセンサスが形成された、ということではないでしょうか?(これは私個人の推測ですが、極めて自然な推測だと思います。異議を唱える方は他にどういう事情で緩和されたと考えるのか説明して頂きたい。)

【重要リンク】篠田治策『北支事変と陸戦法規』 の「犯罪者を処罰するには必ず軍事裁判」について
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-1038.html
篠田氏の「学説」は「占領地住民に対する軍律適用に関する注意」として「必ず軍事裁判」を求めていたのですが、全員が交戦資格を持たない中国兵であったことが明白だった幕府山事件において、立作太郎氏の「学説」とどちらが妥当でしょうか?

参考)佐藤和男『南京事件と戦時国際法』より
『各国軍隊は、軍律を制定して、戦争犯罪…を処罰の対象として規定し、軍律違反者たる戦争犯罪人を、軍の審判機関(軍律法廷)を通じて処罰するのが慣例であった。軍律法廷は純然たる司法機関ではなく、その行う審判は、機能的には軍事行動と把えるのが正確であり、その本来の目的は、戦争犯罪を行った敵対者の処断を通ずる威嚇によって、究極的には…自国軍隊の安全を確保することにあった。そのため、審判の手続は簡易にされ、軍罰(たいてい死刑)の執行は迅速であった。』

写真)日本軍憲兵による5~6千の中国軍投降兵に対する「審問」の様子(笠原十九司「南京事件」p.107より)
____.gif

したがって、南京陥落当時の中国兵は

・交戦資格が無かった(戦時重犯罪人であった)。
・「捕虜」ではなかった。
・それでも審問は行われていた。

これら3つの事実から、幕府山事件での大量処断は国際慣習法の要求を満たしていた、といえます。

もし仮にこの「未成熟な」国際慣習法の要求する「審問」が行われていたという解釈ができなかったとしても、「集団として部下の為に責任を負う者」が明白に存在しない、明白に交戦資格が無い敵兵士を処刑しただけ、つまり手続き上の不備に過ぎないことです。『現実として能力的に不可能であった』ので不起訴もしくは情状酌量で無罪、といったところでしょう。

国際法の基本的な大原則の一つに、「疑わしきは主権に有利に解釈せらるべし」というのがある。(小室直樹)

そもそも、疑いなく捕虜としての資格を持っていた日本人戦犯容疑者すらジュネーブ捕虜条約の要求する裁判を受ける権利を侵害されたのに誰も責任が問われていないのです。しょせんその程度の「未成熟な」国際慣習法にすぎなかったのです。

たとえて言えば、「急いでたので交差点で一旦停止を怠ったけど、事故していないし、誰も怪我させてない」というのが近いといえるかもしれません。まさか、手続き上の不備を75年後の今も外交カードにするなんて、お笑いですよね?手続き上の不備もなかったんですけどね。

汪兆銘の南京政府軍に編入された中国兵捕虜
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-929.html
日本側は敗残兵をことごとく処刑していたわけではなかった。汪兆銘の南京政府軍に編入された中国兵も多数存在したという事実はよく知られている。


3.戦闘は継続していた

すでに、国際慣習法「処罰の前の審問」についての検討は終わり、合法・無罪であることは確認できましたが、「審問」がなされていたと解釈できるか否かについて、虐殺派が罪刑法定主義を無視して勝手に「審問」のハードルを上げようと屁理屈をこねることでしょう。その場合は、国際慣習法が要求する「審問」の要件についての1937年当時の学説を提示してもらわなければならないことは言うまでもありません。

それはともかく、仮に「審問」がなされていたと解釈できなかったとしても、交戦資格があったとしても、どっちみち合法であったことをご説明いたします。

参考)ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則)
 第三十六条 休戦は、交戦当事者間の合意をもって作戦行動を停止するものとする。期間の指定なき時は、交戦当事者は、いかなる時点においても再び交戦を開始する事が可能である。ただし、休戦条件に順じ、所定の時期にその旨を通告すべきものとする。

南京では司令長官唐生智が逃亡しており、休戦の合意はもちろん休戦条件も無かったのです。ですから戦闘は継続していたのです。たとえ「休戦に準ずる状態だった」と虐殺派が強弁しても、第三十六条にあるように、「いかなる時点においても再び交戦を開始する事が可能」なのだから、「火災起り非常なる騒ぎ」になって「最後の取るべき手段を決し」て「再び交戦を開始する事」も合法となります。現実問題として、武装解除したとはいえ自軍の七倍から十倍もの敵兵が何時おそってくるやもしれない、兵器を奪われて殲滅されるかもしれない、そんな緊張感を考えれば「休戦に準ずる状態」とはとても言えないでしょう。

つまり戦闘は継続していたのです。だから戦場で敵兵を銃殺した幕府山事件は合法だったとしか言いようがありませんね。

秦郁彦に言わせれば、旗行列やったから休戦合意があった、て事になるらしい。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-1047.html
秦郁彦氏の見解は間違いで、日本側の主体的判断が尊重される、ということですね。


4.その他の論点

すでに、幕府山事件は合法であった、と結論していますが、以下の点からも、「審問」がなかったとしても、交戦資格があったとしても、合法であることは明白です。

佐藤和男『南京事件と戦時国際法』より

①日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合のあったことが知られる。『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるペき戦時 国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。
②支那側の数々の違法行為(通州事件を含む)に対する復仇の可能性、
③和平開城の勧告を拒絶して、結果的に自国の多数の良民や兵士を悲惨な状態に陥れた支那政府首脳部の責任、
④右の勧告を拒絶されながら、防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制した日本軍の態度、
など関連して検討すべき法的問題点はなお少なくない。
』※丸数字は私が加えました。

田岡良一『国際法Ⅲ』〔1973年〕より
『…しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、「この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、勝利の達成は妨害せられ、時として危うくされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」。※2
…オッペンハイム国際法の戦時の部にも
「投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、※1
第三は、緊急必要の場合において…すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合においてである。※2
」という一句がある。…右のオッペンハイムおよびウェストレークの見解が正しいことは疑いを容れない。この見解は多数の戦争法研究者によって支持されるところであり、戦数を肯定する嫌いのあるドイツ学者の説の引用を避けて、ただイギリスの学者の説のみをたずねても、戦争法の権威スぺートはその陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」のなかに、投降者の助命が戦時の実際において行われ難く、かつその止むを得ない場合があることを論じ、また投降を許して収容した捕虜さえも、軍の行動の必要によって皆殺するの止むをえぬ場合があることは、…』
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_02.html


a.戦時復仇

②と※1は同じ理由ですね。
以下の国民党側の国際法違反行為に対する戦時復仇で、日本側の「敵兵士を処罰する前の審問」も不要になります。

自らは国際法違反・停戦協定違反の限りを尽くして義務を果たさないでおきながら、国際慣習法上の権利「処罰の前の審問」を主張することは、「信義誠実の原則」に反しますよね。こんなことが認められてしまったら、交戦法規を遵守する側は損するだけですから当然ですよね。

当時の中国兵の実態は、国際法なんて概念を持たない匪賊
中国軍の偽装投降の事例
民間人3000人以上の死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明した。しかし、租界への爆撃、もしくは誤爆はその後も発生した。
1932年の第一次上海事変の停戦協定で「陣地や軍事施設を相互に建設してはならない」と取り決めた中立地帯にどんどんトーチカを築いて日本兵二万人が戦死。
通州事件その他で「戦時復仇」は成立するか?

幕府山事件は合法でした。


b.戦数論(軍事的必要)

①と※2は「戦数論」ですが、異議を唱える国際法学者も少なくないようです。

しかし、『一般に国際武力衝突の場合に、予想もされなかった重大な軍事的必要が生起して交戦法規の遵守を不可能とする可能性は皆無とはいえず、きわめて例外的な状況において誠実にかつ慎重に援用される軍事的必要は、容認されてしかるベきであるという見解は、今日でも存在しているのである。』と佐藤和男氏は述べています。

佐藤和男『南京事件と戦時国際法』より
『この「軍事的必要」原則は、第二次世界大戦後の世界においてさえも完全には否認されていない。例えば、ミネソタ大学のG・フォングラーン教授は、無制限な軍事的必要主義は認めないものの、「必要」に 関する誠実な信念や確実な証拠が存在する場合には、この原則の援用や適用を容認している。もっとも、同教授は、極度の緊急事態の不存在や、軍事的成功への寄与の欠如が明らかにされたならば、軍事的必要を根拠にした違法行為は、戦争犯罪を構成するものになると警告している。わが国の戦時国際法の権威である竹本正幸教授も「予測されなかった重大な必要が生じ、戦争法規の遵守を不可能ならしめる場合もあり得る」と認めている。


佐藤和男氏、竹本正幸氏、田岡良一氏、フォングラーン氏、スぺート氏、ウェストレーク氏、そしてオッペンハイム氏も「戦数論」(軍事的必要)を完全否定していないのです。

幕府山事件において自軍の10倍もの言葉の通じない敵兵が火事をきっかけに暴動を起こして(宮本省吾陣中日記12月16日)日本兵が生命の危機を感じたことが理由と考えれば納得できますね。仮に「未成熟な」国際慣習法が求める「審問」が幕府山においてなされていなかったとしても、こういった事情に鑑みて「容認されてしかるベき」ではないでしょうか?

戦数論を持ち出すと決まって一般市民を無差別に殺傷した原爆投下というホロコーストと幕府山事件を同列に語るのが虐殺派ですが、あくまでも「軍事的必要を理由に原爆投下というホロコーストすら正当化しているのに、なぜ幕府山事件では正当化できないのか?」という文脈で「原爆投下と幕府山事件」を論じるべきです。

フォングラーン氏や竹本正幸氏の見解からも、軍事的必要主義の援用は、原爆投下はアウトで幕府山事件はセーフとなります。


c.唐生智将軍の責任と日本側の対応

③は唐生智将軍の責任について触れられています。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-877.html
唐生智の責任を否定する大虐殺派は一人も居ない。

そもそも、戦場で兵士が死んでなぜ虐殺なのでしょうか?それが問題なら、和平開城の勧告を拒絶して、結果的に自国の多数の良民や兵士を悲惨な状態に陥れた支那政府首脳部の責任です。司令長官の唐生智が南京に戻ってきて捕らえられた中国兵の解放を交渉すれば良かったのです。そもそも南京を戦場にしなければ良かったのです。

全ての原因は中国側にあるのです。

くどいようですが、戦場で兵士が死んでなぜ虐殺なのでしょうか?それなら降伏勧告に応じれば良かったのです。上海を爆撃しなければ良かったのです。

一方の日本側は、和平開城の勧告を拒絶されながら、防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制したのです。日本軍のおかげで市民の被害は最小限に抑えられたのであり、戦時重犯罪人に対する「審問無き処罰」は問題にならないことは常識で考えても明らかです。→④

数々の暴虐挑発行為のあげく突然上海を爆撃して3千人以上の民間人死傷者が出て、不拡大方針の変更をした日本軍を準備万端のトーチカで待ち受けて日本兵が2万人も戦死したのだ。南京は防守都市であったために無差別爆撃できたにもかかわらず、日本軍が無差別爆撃を避けたおかげで一般市民の被害は最小限に食い止められたことを考えれば、恥じるどころか、むしろ日本人としてとても誇らしいと感じます。

守るべきは一般市民であり、中国兵ではないのです。

【結論】どう考えても合法・無罪です。

東京裁判において松井大将は幕府山事件で無罪になった
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-1122.html
つまり、東京裁判ですら幕府山事件は合法とされたのです。

『戦争犯罪は、それを実行した個人が責任を問われるというのが原則であり、軍隊構成員という国家機関の行為でも、責任は国家に帰属せずに個人責任が問われるのが常である。』(佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』より)

この点を踏まえても、75年後の現在も外交問題になる理由はどこにもありません。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113464315
このとおり、だれも違法性を論証できません。

虐殺とはこういうことを言うのです。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-247.html

以下参考リンク)

通州事件その他で「戦時復仇」は成立するか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-940.html

シナ事変(日中戦争)は中国側の侵略行為~第二次上海事変
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n14697

偕行社「南京戦史」は、戦場ならどこにでもある「不法行為」を詫びたにすぎない
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-846.html
これらはすべて合法だったのです。

兵器を捨て降伏する者の殺傷は絶対的な禁止事項か? 陸戦規則第23条

『南京大虐殺(南京事件)』での一般市民殺害は?~スマイス報告を中心に
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n151348


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ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

http://twilog.org/nomorepropagand

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