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兵士が「捕虜」と呼んだら(日記に書いたら)「捕虜」になれるのか?

人を中傷することで自分の間違いを隠してしまおうとする方のようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10103475630
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12103382952
poirot21thさん
『貴方は「捕虜」であったのか如何を重要ポイントにしていますが、『戦史叢書』の公式見解で幕府山事件は「捕虜の事件」と明記されています。貴方が史料であげた宮本省吾陣中日記にも 「捕慮(虜)…」 とあり捕虜と認識しています。大阪朝日新聞横田記者現地報告「…幕府山砲台附近の山地にて捕虜にされた一万…」 確かに捕虜にしたと言っています。
当時の現地の人間がもう「捕虜」と判断しているのに、今さら四要件がどうだとか資格があるのかとあらがっても無意味です。
(中略)
つまり貴方は捕虜処分の一方法である『宣誓に依らざる解放』論により同事件を擁護しておきながら、突っこまれると「そもそも捕虜であったのだろうか?」と資格の有無論でけむに巻こうとしているのです。酷いダブルスタンダードもあったものですね。捕虜としなければお得意の主張『宣誓に依らざる解放』にはなりません。自縄自縛とはこの事です。』

ついでにもう一人。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/y1892a7.html
http://megalodon.jp/2013-0523-1854-54/www.geocities.jp/yu77799/nankin/y1892a7.html
「ゆう」氏
『当時においてここまではっきりと「捕虜」と認識されていたのですから、今さら「「捕らえられた敵兵」は必ずしも「捕虜」ではなく・・・」云々の主張をしても、仕方ないでしょう。』


以下、主にpoirot21thに対して
ようするにあなたは
・『戦史叢書』、大阪朝日新聞横田記者、宮本省吾陣中日記が「捕虜」と呼んでいるから。
・『宣誓に依らざる解放』は「捕虜」にしか使えない手段だから

だから「捕虜」だと言いたいのでしょう。
また”意訳”で煙に巻かれそうな予感w

それならば、この論証をしていただかなくてはいけません。
●一兵士が「捕虜」と呼んだら(日記に書いたら)、交戦資格の無い敵兵(戦時重犯罪人)にも「捕虜」の権利が発生するという国際法上の根拠、もしくは前例

※『戦史叢書』は後年編纂されたものですから、南京陥落当時の権利義務の発生に関係ありません。
※記者が何と呼ぼうが、日本軍や中国軍に権利義務が発生したり消滅したりするわけがありません。
※『宣誓に依らざる解放』は「捕虜」に対してでなければ使えないという決まりはありませんから全く根拠になりません。ただ単に「交戦資格の無い敵兵」に任意で「捕虜」と同様の手続きをとっただけですから。

※ちなみに、ゆう氏の指摘では、「大阪朝日新聞の報道」「歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』」「信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻」の3つですが、新聞報道は既に述べたとおり、『戦闘詳報』は『戦史叢書』ならびに陣中日誌と同様、信夫淳平『戦時国際法講義』の新聞報道は記述の通り、軍発表の公報については十二月二十九日発表のものですので、12月中旬の敵兵処断の是非には影響がありません。

あなたは、『一兵士が「捕虜」と呼ぶこと、もしくは日記に書くことが、交戦資格の無い敵兵に「捕虜の権利」を発生させる要件である』と言う根拠を示さなくてはいけません。

なお、

・足立純夫『現代戦争法規論』
『1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し…』

次官通牒 陸支密第一七七二号昭和十二年十一月四日
『日支全面戦ヲ相手側ニ先ンシテ決心セリト見ラルルカ如キ言動(例へハ戦利品、俘虜等ノ名称ノ使用或ハ軍自ラ交戦法規ヲ其ノ儘適用セルト公称シ其ノ他必要己ムヲ得サルニ非サル二諸外国ノ神経ヲ刺戟スルカ如キ言動)ハ努メテ之ヲ避ケ

・東京裁判に提出された武藤章(支那事変発生当時、参謀本部第1部第3課長)の尋問調書 ※1

これら、足立先生の「自由裁量」や、次官通牒、武藤章の尋問調書との整合についてもご説明が必要になります。


挙証責任はどちらにあるか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-828.html

「捕虜(俘虜)」という言葉が「国際法上の権利を有する捕らえられた敵兵」という厳密な意味で兵士たちに使用されていたとは考えにくい。そのような場合は、「捕虜(俘虜)」「捕虜(俘虜)でない捕らえられた敵兵」と使い分けて呼ぶほかないが、そのような様子は無い。
1907年ハーグ陸戦条約付属規則
1929年ジュネーブ俘虜取扱条約
1949年第三条約
このように時代によって「捕虜(俘虜)」の権利義務が変化してきているなかで、一兵士が国際法上の厳密な意味を理解して発言したり日記に書き記す義務があったわけではない。ようするに「捕虜(俘虜)」という言葉は、当時から「(国際法上の権利を有するか否かに関係なく)捕らえられた敵兵」という意味で一般的に使用されているのである。
たとえば、佐々木到一少将私記十二月十三日には、「その後俘虜続々投降し来り数千に達す」とありますが、「俘虜」が「投降」してくるなんてことはありえませんね。少将と言えども「俘虜(捕虜)」という言葉を正確な意味で使用していないことが確認できます。第33聯隊戦闘詳報にしてもしかり。※2
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Sasaki.html
ようするに、
・国際法上の権利を持つ捕らえられた敵兵
・権利を持たない捕らえられた敵兵
・投降してくる敗残兵
これらひっくるめて「捕虜」と呼んでいたのが実態です。


※1 日本の捕虜取扱いの背景と方針 立川京一
『ところで、日本陸軍がすでに存在する条約をそのまま適用しないという方針を掲げた例は、支那事変(日中戦争)において見られる。その条約は陸戦条約であり、同事変においては、「準拠スルモノ」とされた。支那事変は「全面戰爭」、すなわち、宣戦布告をともなった国際法に言う戦争ではなく、また、日本が「全面戰爭」の決心をしていると受け取られないようにするために、陸戦条約の「規定ヲ努メテ尊重スヘク」も、「具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適當ナラス」との方針が示されたのである。そして、具体的な例の一つとして、「俘虜等ノ名稱ノ使用」を「努メテ避ケ」るように指示している。
また、東京裁判に提出された武藤章(支那事変発生当時、参謀本部第1部第3課長)の尋問調書(1946 年4 月16 日付)によれば、1938 年に「中国人ノ捕ヘラレタル者ハ俘虜トシテ取扱ハレナイトイフ事ガ決定」されている。つまり、陸軍は、戦争ではない支那事変では捕虜そのものを捕らないという方針を採用、したがって、正式の捕虜収容所も設けなかった。』

※2 http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_02.html
「・・・・午後二時頃概して掃蕩を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進して和平門に至る。その後俘虜続々投降し来り、数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。・・・・」
 佐々木私記にはこの様に書かれていますが、「俘虜」は投降しません。敵兵が投降し、収容されて「俘虜」になるのであって、「俘虜続々投降し来り」というのは明らかに「俘虜」の用法を間違っています。正しくは「敵兵続々投降し来り」「敗残兵続々投降し来り」です。
 旅団長からして間違えているくらいですから、公文書とはいえ戦地で作成する速報に過ぎない戦闘詳報が「俘虜」という用語を正しく厳密に使用しているとは思えません。現に、同じ第33聯隊戦闘詳報には、中国軍が防衛陣地を「占領」していた、という表現が用いられています。「占領」は攻撃側の行為であって、守備側の行為を「占領」と表現するのが間違いであることは言うまでもありません。戦闘詳報は国際法上の用語を厳密に使用して綴られた物ではないのです。
 佐々木私記に話を戻します。
 佐々木私記には敵兵の投降状況が「続々投降し来り」と記されています。つまり、この時の投降は指揮官の統率下で一斉に行われたものではなく、投降した兵士と投降していない兵士が並存する状態だったということです。』


幕府山事件と「審問なき処罰の禁止」について~戦時国際法上合法説
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-871.html
これは必読です。

佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』より
『同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。』

南京の中国兵は交戦資格を有していたのか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-932.html

汪兆銘の南京政府軍に編入された中国兵捕虜
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-929.html
日本側は敗残兵をことごとく処刑していたわけではなかった。汪兆銘の南京政府軍に編入された中国兵も多数存在したという事実はよく知られている。


参考)
挙証責任はどちらにあるか?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-828.html

唐生智将軍の責任について~大虐殺派の見解
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-877.html

トップへ”南京大虐殺”のまとめ 責任者は蒋介石・唐生智 日本は無罪
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テーマ : 歴史
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アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
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