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『南京大虐殺(南京事件)』論争の経緯~すべては「宣伝文書」からはじまった

1937年12月に南京で起こったとされる『南京大虐殺』について、いまだに「何万人虐殺されたのか」という論争が絶えません。
読んでいただければご理解いただけると思いますが、
いつも政治プロパガンダが先行してきたのがこの「南京大虐殺(南京事件)」論争なのです。

1.「原初的南京事件」

南京陥落当時、南京には数十名の欧米人が居ました。大学教授、宣教師、ドイツ人商人、アメリカやドイツの外交官などです。南京に残留した彼らによって「南京安全区国際委員会」という組織が作られ、南京の行政権を蒋介石政権から引き継いだ、と日本軍に主張しました。しかし、軍事占領された地域を第3国組織によって統治されるというのは前例がありませんでしたので日本軍と国際委員会との軋轢が生じました。

そういった経緯は、国際委員会から日本側(現地日本大使館や南京司令官など)への書簡をまとめた「南京安全地帯の記録」に記録されています。この文書は「重慶の国際問題委員会の主催の元に作成された」と銘記されており、国民党側も認める公式文書であると言う点でとても重要です。

この文書によると、南京陥落の12月13日から翌年1月末までの1ヶ月半の間に、殺人事件26件(死者約50人)が記録されています。「南京事件の核心」という本は「南京安全地帯の記録」その他の一次史料をデータベース化しています。そのエッセンスがこちらで無料で読めます。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Using-Primary-Sources.pdf
これは冨澤繁信氏ら研究者によって「原初的南京事件」と名付けられ、真偽はともかく南京陥落当時、日本側が認知していた「南京事件」です。


2.毛沢東の中国共産党と『南京大虐殺』

1937年当時、日本軍は蒋介石率いる中国国民党と戦っていました。その国民党は中国共産党との内戦に敗れ、戦後台湾に逃れました。日本軍は今現在中国を統治している中国共産党と戦っていたのではありません。毛沢東率いる中国共産党は戦後、中国を統一して現在に至ります。

昭和39年、1964年、社会党佐々木委員長との会談で毛沢東は次のように言いました。
『何も申し訳なく思うことはありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力無しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。』

鄧小平もこのように述べています。
『日本は中国を助けたことになっている。…日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。…皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。』
 (中国との友好交流20年の感想)

毛沢東は中国建国の父と呼ばれていますが、その毛沢東がこのような発言をしたことはどのような意味を持つのか、歴史(満州事変以後、シナ事変から第2次世界大戦)をよく勉強する必要があるでしょう。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n14697
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n13812

現在の中国共産党は、毛沢東や鄧小平という、『南京大虐殺』当時を知る中国共産党指導者のこれらの言葉を知らないのでしょうか?

中国共産党の記録にもない『南京大虐殺』
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason11.html

毛沢東は1938年5月、延安の抗日戦争研究会で「持久戦について」という有名な講演をしたが、南京の虐殺に触れるどころか「包囲は多いが殲滅は少ない」として日本軍の甘さを指摘している。 その一方、「マオ」(ユン・チアン&ジョン・ハリディ著)には、「毛沢東が長い人生で一度も言わなかったことがある、南京大虐殺だ」との記述がある。


3.蒋介石率いる国民党軍と『南京大虐殺』

唐生智(南京司令長官)は11月28日(南京陥落前)、外国人記者会見で、中国兵は訓練も足りず規律も良くないので不祥事が起こるかもしれない、無用の外人は退去されたいと警告している。その一方、マスコミ報道でなく国民党自身によって南京陥落直後から約300回もの記者会見を行ったが、その中で一度も「南京虐殺があった」とは言っていない。

南京陥落当時、場内にはマスコミ陣が多数居ました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、欧米メディアで”南京大虐殺”を報道した記者はダーディンとスティール。しかしパネー号誤爆事件やアリソン事件(アリソン米国領事が日本兵によって殴打された事件)よりも小さい扱いだったのです。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Durdin.html
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Stl.html
新聞記者は「センセーショナルな記事を好む」という職業上の普遍の動機がある。にもかかわらず、その記事の中で具体的描写がなされているのは中国兵に対する処刑だけなのである。

実は、ダーディンもスティールも目撃したのは「中国兵の処刑」だけで、一般市民の虐殺は目撃していないのである。
『「南京事件」から約50年を経た1986年、87年に事件当時南京に駐在していたニューヨーク・タイムズの記者ダーディン氏、並びにシカゴ・デイリー・ニュースの記者スティール氏は笠原十九司氏のインタビューにこたえて「自分たちが南京で見たものは揚子江岸の敗残兵の処刑」であったと言い、市民の虐殺の目撃には触れなかった。またダーディン氏はさらに「私が南京に居た13日14日には、日本兵は中国兵の掃討に専念していた」と言い、他のことをする余裕がなかったことを暗示している。』
(冨澤繁信著『南京事件の核心』より)

中華民国代表顧維鈞演説のウソと国際連盟決議の事実
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Liar_Koo.html
『まるで日本の軍事行動そのものを避難する決議が為されていたから個別の違法行為については採り上げられなかったとでも言いたげな屁理屈を並べ立てていますが、第100回理事会の後の、1938年5月の第101回理事会において、山東戦線における日本軍の毒ガス使用に対する非難決議という個別の戦争犯罪(勿論冤罪です)に関する非難決議が行われた事実によって、論理的に余りにもお粗末であることが簡単に分かります。』

国際連盟では二万人ですら認められていません。

何応欽上将の軍事報告
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason10.html


4.南京事件を世界に最初に知らしめたとされる「WHAT WAR MEANS」

著者のティンパーリは南京陥落から8ヶ月後の1938年7月に「WHAT WAR MEANS」(日本名「戦争とは何か」)を刊行しました。彼は当時南京にはおらず、上海にて活動していました。つまり、彼自身は南京での虐殺を目撃していないのです。1938年1月29日、上海のティンパーリが南京のベイツに宛てた手紙。
http://divdl.library.yale.edu/ydlchina/images/NMP0092.pdf

国民党中央宣伝部顧問ティンパーリーらによって、
「四万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、そのうちの約三〇パーセントはかつて兵隊になったことのない人々である」
というプロパガンダが流されていました。

国民党中央宣伝部で国際宣伝処長を務めた曾虚白の自伝より
『我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際的友人を捜して我々の代弁者となってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的な人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、印刷し発行することを決定した』

http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-256.html
『ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記:田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリア出身のジャーナリスト。1937年の盧溝橋事件後、中国国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事し、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した。(中略)つまり、虐殺が行われた証拠とされた「WHAT WAR MEANS」も、大量の死体が存在した証拠とされた「スマイス報告」も、国民党の外交戦略に基づいて故意に歪められた情報であり、裁判において「大虐殺」行為を立証するに足るものではなかったのだ。』

『南京大虐殺』からたったの8ヶ月後に英語と中国語で本書を出版しました。ずいぶん手際が良いですよね。

『東京の裁判でも、判決書の中に裁判官がティンパーリーの著作を読んでいたことを示す文面が見られる。判決文には「日本側が市を占領した最初の2,3日の間に、少なくとも1万2千人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した」と述べられるが、法廷で陳述された多くの証言の中にはこの数字への言及は見当たらない。それゆえ一万二千という人数は、「WHAT WAR MEANS」にいう「四万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、そのうちの約三〇パーセントはかつて兵隊になったことのない人々である」を敷衍したものと考えられる。』
※北村稔著『「南京事件」の探求』より

「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-246.html
『日中戦争中の1939年4月から12月まで重慶の国民党国際宣伝処に勤務し、後に著名なジャーナリストとなったアメリカ人のセオドア・ホワイトは、『回想録』(堀たお子訳『歴史の探究』)の中で、国民党国際宣伝処の対外宣伝の実情を明らかにしている。(中略)
ホワイトは国際宣伝処の特集記事監修を担当したが、当時の重慶では「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」と述べる。』
※北村稔著『「南京事件」の探求』より


5.東京裁判と南京戦犯軍事法廷

1937年の南京陥落から8年後の1945年、日本は降伏しました。そして『南京大虐殺』が最初に国際間で問題になるのは1946年5月からの東京裁判(極東国際軍事裁判)です。その東京裁判で、「原初的南京事件」が突如十数万規模の大虐殺事件に様変わりしたのです。

http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-262.html
『…日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。……「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。……その食い違いを東京裁判の国際検察局から指摘されたのだろう。『資料選輯』によれば、中国国民政府は「極東法廷証拠法の要求するところに合致させるため」、東京裁判開廷から二ヶ月後の一九四六年七月一日から十一月十一日まで約五ヵ月間にわたって再調査を実施した。その結果、「確かな証拠にもとづいて出廷し証言した者は二千七百八十四件分、その中でも被害状況が重い被害者で出廷し証言し得た者は十一件分」あったという(この内、三件は東京裁判に提出済み)。ともかく二つの埋葬表と、この十一の証言とによって、ようやく犠牲者数は三十四万となった。……実はこれら十一件の証言は、事件から八年も経った後に集められたものであり、反対尋問も受けていない。その内容も合理性を著しく欠く。何故なら、これらの証言を信じれば、陥落直後の十二月十四日から十八日までのたった五日間に、一日平均三万八千人もの中国人が、約千六百人の日本軍歩兵第七連帯第一、第二大隊(その多くは治安維持や警備を担当していた)の手によって安全区及びその付近において殺害され、十九万もの死体はすべて石油などで焼かれて痕跡をとどめなかったことになるからである。…』

当時、ラーベら安全区委員会が管理していた安全区(3.8平方㎞)には20万人の一般市民が避難していました。日本軍によってたとえたった100人が虐殺されたとしても、たくさんの目撃証言が出てくるはずです。

北村稔著「南京事件の探求」より
『南京と東京の裁判では多くの証拠と証人が共有された。そしてティンパーリーが「WHAT WAR MEANS」で告発していた日本兵による暴行、略奪、放火、さらには殺人事件が南京での大虐殺を構成する重要な証拠として検討された。(中略)「WHAT WAR MEANS」の内容が、裁判開始の前提となり裁判を維持する基本的枠組みとして機能した。』

東京裁判の他に1947年2月から南京でも戦犯軍事法廷が開かれています。
東京裁判では10万人~20万人、南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上の虐殺があったことにされています。

南京・東京裁判判決と根拠
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/nanking-jiken-3.html

『南京大虐殺』なんて話が出てきたのは、勝者が敗者にありもしない罪を押しつける東京裁判という名の集団リンチなのです。原爆投下を正当化するために「日本の戦争犯罪」が必要だったのです。中国国民党中央宣伝部顧問による「WHAT WAR MEANS」という宣伝文書に依拠したでっちあげだったのです。


6.中国共産党の洗脳工作「撫順戦犯管理所」

忘れてはならないのがあのラストエンペラーも収容された「撫順戦犯管理所」である。1950年ソ連より引き渡された900人以上の日本人や満州国の戦犯を収容した中華人民共和国による戦犯管理所で、ここでは元日本兵を収容管理して洗脳教育を施したことが明らかになっている。
https://www.youtube.com/playlist?list=PL3449509B3795E189
極寒のシベリアで5年も極限状態で酷使された元日本兵が収容されたのは、中国人職員も不満に感じるほどの恵まれた環境であった。そこでは戦時中の罪状を告白すると賞賛され、認めなければ批難されるという恐ろしい洗脳が行われていたのである。「中帰連」(中国帰還者連絡会)という団体で帰国後も「謝罪行脚」が行われている。

秦郁彦氏の著書「南京事件~「虐殺」の構造」にこのような記述がある。
『1989年に中国側から撫順収容所の戦犯だった太田寿夫少佐(第二碇泊場司令部)の供述書が流され、一部のマスコミが大きく報道したことがあった。
「12月15日に着任して15万(大多数は住民)の死体処理を目撃した」というのが供述書の要旨だったが、太田の着任は25日だったことを記入した部下の梶谷健郎軍曹の日記の出現で、太田ばかりで無く戦犯の供述書全般に対する信頼性が揺らいだ。』


7.敗戦国の宿命と戦勝国の横暴

ナチスがユダヤ人を虐殺したという罪で、戦後ドイツはユダヤ人600万人ホロコーストという罪を着せられました。それがなぜかユダヤ人がパレスチナに国家を建設することにつながってしまいました。ホロコーストが事実だったとして、いったいどうしてパレスチナ人がふるさとを追われたり殺されたりしなければいけないのでしょうか?イスラエルという国はまさに『ホロコースト利得国家』です。フランスでは「ホロコースト見直し」に関する言論の自由はありません。
http://youtu.be/eIcK5O8v8ZA

ガス室否定発言で罰金刑 独裁判所、元司教に ナチスのホロコースト
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-973.html

ドイツや日本は戦後60年以上が経過した今も敗戦国として位置づけられています。国連の常任理事国は米英仏露中という戦勝国が独占しています。敗戦国の日本とドイツには核兵器を持つことも許されません。第2次世界大戦の敗戦国は戦勝国が持っている権利をけっして与えられないのです。

2012年9月、習近平は米国防長官パネッタとの会談で
戦後の国際秩序に挑戦する日本の行為を国際社会は絶対に容認しない」と述べました。

東京裁判という名ばかりの裁判で、敗戦国はありもしない罪を着せられ、戦勝国の民間人大量虐殺(広島長崎ほか)の罪は問われないのです。

蒋介石・毛沢東こそ大虐殺をしていた?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-247.html


8.『南京大虐殺』が日中の外交問題になったのはなぜか?

1966年から中国は文化大革命の時代になり、ソ連との関係が冷え込んでいました。田中角栄総理と毛沢東・周恩来の中国共産党との日中共同声明(1972年)当時、日中間の懸案事項として尖閣諸島がありました。有名な話ですが、将来の人の知恵に任せようという、棚上げ論で問題が先送りされました。

1978年8月の日中平和友好条約では主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されています。中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出しました。

さて、『南京大虐殺』はそのときどのように扱われたのでしょうか?

すでに紹介したように、毛沢東は日本軍に感謝していたわけです。尖閣諸島は議題に上っても、『南京大虐殺』は議題にすら上っていません。現在から振り返ると想像もできません。『南京大虐殺』は尖閣問題とならんで日中間の重要問題になってしまっていますからね。

ということは、日中共同声明前後から現在に至るまでに『南京大虐殺』を日中間の外交問題にする事件があった、ということになります。

いったいどんな事件でしょうか?

1971年8月から朝日新聞が連載した「中国の旅」 であったと断じて間違いないものと思います。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/virus/v-asahi-1.html
1967年から北京駐在の日本人特派員が「文化大革命を中傷した」などの理由で、次々国外退去処分になりましたが、朝日新聞一社がこの処分をまぬがれました 。このため、朝日が中国取材を半ば独占するなかで、「中国の旅」取材は行われたのです。

 ではその取材の実態はどうだったのでしょう。当の本多勝一記者が次のように書いています。
『本舞台での取材そのものは、ある意味では楽な取材だと言えるでしょう。レールは敷かれているし、取材相手はこちらから探さなくてもむこうからそろえてくれる。だから問題は、短時間に相手からいかに大量に聞き出すか、しかも正確に聞き出すかと、そういう問題になる。』
また、抗議を受けた本多勝一はこのように弁解しています。
『また私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。中国側との間で何らかの合意点が見つかったときには、それをまた本で採用したいと思っております。』
(1986年3月9日付け書簡)

さらにこのころ、南京大虐殺紀念館が設立されています。

笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』高文研 p308より
『1982年、田辺の再三の建設要求と破格の資金提供に対し、中国政府の鄧小平ならびに中国共産党中央委員会が、全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して、愛国主義教育を推進するよう指示を出した。この支持を受けて、1983年、中国共産党江蘇省委員会と江蘇省政府は南京大虐殺紀念館を設立することを決定し、中国共産党南京市委員会と南京市政府に準備委員会を発足させた。鄧小平は1985年2月に南京を視察に訪れ、建設予定の紀念館のために「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の館名を揮毫し、鄧小平の視察直後に紀念館の建設が着工され、抗日戦争終結40周年に当たる同年8月15日にオープンした。』

つまり、この紀念館が建てられるまでは、中国共産党にとって南京で虐殺したのは蒋介石だった、てことです。
雨花台革命烈士陵園
http://px820.onmitsu.jp/kankou/yuhuatai/yuhuatai.html


いまでも南京大虐殺紀念館には300000と言う数字が刻まれている。
→【写真】

中国人の行動原理「指桑罵槐」と、反日中国のきっかけ
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/?no=1289

『南京大虐殺』が日中の外交問題になったきっかけは、このように中国側の言い分をそのまま書き連ねただけの朝日新聞によるプロパガンダ、そして人民解放軍の「指桑罵槐」での日本批判から得た日本の謝罪(1982年の教科書書換”誤報”事件)という予想外の収穫だったのです。

朝日新聞が報道~「平和甦る南京」の写真特集
http://www.history.gr.jp/~nanking/peace.html

『南京大虐殺』は、経済的に大きく後れをとっていた戦勝国の中国が、戦後経済発展した敗戦国の日本からとれるものをとるための外交カードに過ぎません。


9.天安門事件と反日教育、そしてお家芸「二重基準」

1989年6月4日、六四天安門事件が起こりました。同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門事件広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧し、多数の死傷者を出した事件です。

『1994年に中国共産党の中央宣伝部が「愛国主義教育実施要綱」を起草し、愛国心教育が制度化された。』
( 岡村志嘉子「中国の愛国主義教育に関する諸規定」)

『中国では教師のマニュアル書である「中国歴史・教師用指導書」というものが存在しており、そこには歴史教育について次のように日本を恨むように子供の感情に訴える指導がなされている。
「残虐性と野蛮性を暴露せよ」
「教師は日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」
「南京大虐殺の時間的経過と人数を生徒に覚えさせよ」』
(Voice2005年7月号、古森義久『日中再考』)

中国系アメリカ人アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」(1997年)が原爆投下で後ろめたさのあるアメリカ国内では一定の高い評価を受けました。しかしまともな学者からは「東京裁判を無批判に受け入れている」などと批判されました。
10万人以上説を採る本多勝一でさえは誤りや確認できない部分に関して訂正を求め、笠原十九司氏も、同列に扱われては困る、という趣旨の発言をしている。(諸君! 2001年2月号)
著者は2004年に自家用車内で拳銃自殺しました。
→【写真】

ザ・レイプ・オブ・南京「日本軍が数週間の間に一般市民約26万人から35万人を虐殺し、女性2万人から8万人を強姦した」

中国共産党政権維持のためのアメリカを巻き込んだ反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は指数関数的な勢いで日々増加しています。
国内の民主化運動など党への批判を反日教育で、民主化運動弾圧を巡る国際的な非難を反日プロパガンダで逸らすねらいが透けて見えます。

江沢民について
『日本に対しては歴史認識で執拗に批判しているが、ベトナムからの中越戦争の謝罪要求については「ベトナムのカンボジア侵攻によるものだ」として、謝罪はしていない。2002年2月末にベトナムを訪問した際、謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と一方的に通告し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。』
(共同通信2002年3月17日配信)


10.日中歴史共同研究

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html
日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている

http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-850.html
『中国側の都合で、歴史認識問題が日中間の外交のテーマとなったのだった。98年11月に訪日した江が歴史問題に固執したことは記憶に新しい。平成18年9月に首相に就任し、最初の訪問国として訪中した安倍晋三は国家主席、胡錦濤との間で歴史共同研究委員会を立ち上げることで一致した。
中国外務省関係者は「日本と関係を修復したい胡政権は、この共同研究で双方の歴史認識を共有させようとした」と証言する。
だが、両国を代表する歴史学者らを集めたこのプロジェクトは期待された成果を挙げることはできなかった。
ある中国側の学者は、「日本の学者は自由に歴史を研究できるが、中国側は共産党中央が決めた歴史認識に従うしかない。歩み寄ることは最初から無理だった」と語る。』

中国では政治と歴史とは切り離せるものでは無く、歴史は政治に利用されるものなのです。一方、日本では言論の自由も学問の自由も保障されていますから、右から左まで様々です。極端なことを言えば、中国共産党からカネをもらって大学教授が南京大虐殺を肯定する言論を展開することもできるのです。

『南京大虐殺はなかったが、「南京事件」はあったのだ』という人たちは、金科玉条のごとく日中歴史共同研究を根拠に出しますが、この共同研究は上記に示したように、根拠も示さず自国の利益のために一切妥協しない中国側に対して日本側が政治的に妥協してできたものなのです。

外務省は官僚組織ですから政治的に決められたことには従うだけです。日本政府としては隣国との火種をなくして経済協力したいがために、日本人特有の「あいまいな結論」で決着させようとしただけなのです。日本人ならわかりますよね?


11.日本の政治家を経済的圧力で黙らせる中国共産党と、それに協力する日本のメディア

「南京事件はなかった」という河村市長を、黙らせたのは誰だ?
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-839.html
河村市長
「いろんなところから『言わんでくれ』と言われとるから個別インタビューは受けないということにしとる。かんべんしてちょうよ」
中国で長くビジネスをしている経営者
「中国の反日感情の強い人々は、常に日本のニュースをチェックして何か問題がないか探している。彼らが騒げば、中国共産党としては正式に抗議をしなくてはならない。抗議をしないと、その不満は自分たちに向けられてしまう。共産党としてはそれが一番怖い」
名古屋の地元メディア
「市に寄せられたのは、よくぞ言ったという激励の意見の方が多いのですが、猛烈なクレームもあった。その多くは中国ビジネスをしている企業からです

日本の政治家を黙らせるのは簡単です。中国ビジネスを展開している日系企業に圧力を加えれば、経済界から政治家に圧力をかけてくれるのです。
今回の一件で、政治家やタレントなどは「南京で虐殺はなかった」と発言すると経済界を経由して圧力がかけられることが証明されたわけです。

もはや国内メディアも中国共産党の片棒を担いで、「南京で日本軍による虐殺は無かった」と言う発言を外交問題にする慣習ができあがっています。

「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-931.html

南京大虐殺は真実ではないと思う理由 鈴木史朗(フリーアナウンサー)
http://amotoyamatotake.web.fc2.com/nankinnoouso.html



12.終わりに

中国側にとって『南京大虐殺』というものが戦後1970年代以降になってから政治的に利用されてきたことがよくわかっていただけたと思います。

・国交正常化に際しての対日交渉カード
・国内の民主化運動に対する反日教育の材料
・国際的な対中非難をそらすための反日キャンペーン

戦後70年近く経過する現在に至っても政治的に利用される『南京大虐殺』ですが、彼らにとっては、ねつ造歪曲してでも『南京大虐殺』を事実と言い張るだけの動機と実績があるのです。

『南京大虐殺はプロパガンダだが、南京事件はあった。日本政府も認めたのだから否定できない事実だ。』と一部の「南京事件」肯定派がネット上で幅をきかせていますが、そもそも何一つ根拠が無いのです。
元をたどっていけば、東京裁判と南京裁判で理論的枠組みとして利用された「WHAT WAR MEANS」という宣伝文書にたどりつくのです。

いつも政治プロパガンダが先行してきたのがこの『南京大虐殺(南京事件)』論争なのです。
大事なことは、何を根拠に何があったのか、政治的プロパガンダをいっさい廃してゼロから学術的に論じられなければならないということです。

参考)
『南京大虐殺(南京事件)』での一般市民殺害は?~スマイス報告を中心に
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n151348

捕虜の処刑は「虐殺」か?~「南京事件」肯定派「ゆう」氏を論破してみました
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n155583

必読!
”南京大虐殺”の重要かつ不可欠な13のポイント
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-387.html

崔三然氏
「日本人は謝れば、韓国や中国、北朝鮮が許してくれると思い込んでいるようですが、大きな間違いです。
はじめから狙いは別の所にありますから、もともと許す気などない。
中国の大戦略は日米韓の連携を極力抑え込むことです。
だから歴史問題をことさら大きく見せかけて大ぼらを吹く。」
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-357.html

【写真】アイリス・チャン
「ザ・レイプ・オブ・南京」(1997年)の著者で中国系アメリカ人。2004年に自家用車内で拳銃自殺した。
アイリス・チャン


【写真】南京大虐殺紀念館
img_d49f78d8fcf1d13e37c837cf962005e418148.jpg

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ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

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