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日中国交正常化40年(中)尖閣も「歴史問題」カード

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120929/plc12092915360008-n1.htm

2012.9.29 15:34 (1/4ページ)[日中関係]
 沖縄県・尖閣諸島をめぐり、日本と中国は国連総会でも激しく火花を散らした。議場はさながら日中激突の場となった。

日米にくさび

 「甲午戦争(日清戦争)末期に中国から盗んだ歴史的事実は変えられない」「国有化は反ファシスト戦争勝利の結果を公然と否定するものだ」

 中国外相、楊潔●は日本を「盗人」扱いした。日本側は国連次席大使、児玉和夫が答弁権を行使し、直ちに反論した。

 「中国と台湾が尖閣について主張を始めたのは1970年代になってからだ」

 日本政府による尖閣国有化後、中国は領土と歴史をからめ始めた。

 次期国家主席に内定している国家副主席、習近平も19日の米国防長官、パネッタとの会談で「戦後の国際秩序に挑戦する日本の行為を国際社会は絶対に容認しない」と述べた。トウ小平をはじめこれまでの指導者が使わなかった表現である。

 尖閣問題がなぜ歴史問題なのか。中国政府によれば、尖閣は日本が清国から奪い取った島で、1943年のカイロ宣言では「清国人より盗取したる一切の地域」を中国に返還するとしている、というわけだ。

 宣言をまとめたカイロでの会談には米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルに加え、中華民国国民政府主席の蒋介石が参加した。

 「戦後秩序」を強調することで、尖閣諸島を米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約第5条の「適用対象」としている米国と、日本の間にくさびを打ち込むねらいがあるとみられる。

2012.9.29 15:34 (2/4ページ)[日中関係]
 だが、中国による尖閣実効支配の史実はない。児玉が指摘するように、69年に国連アジア極東経済委員会が尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表してから中国、台湾とも「自国領だ」と主張し始めた。

 外務省条約課長として72年の国交正常化交渉に参加した栗山尚一も当時を振り返り「中国は米国が尖閣に対して施政権を行使していても何も文句を言わなかった。石油が出そうだからと急に言い出しても国際的に通る話じゃない」と語る。

 歴史問題を外交カードに使う中国の戦術は今に始まったことではない。日中の国交が正常化した40年前から続くお家芸ともいえる。

「迷惑」に怒り

 72年9月26日、田中角栄、周恩来の日中両首相は北京の人民大会堂で2回目の首脳会談に臨んだ。会談は冒頭に周が発した言葉で緊張が走った。

 「田中首相の『中国人民に迷惑をかけた』との言葉は中国人の反感を呼ぶ。中国では『迷惑』とは小さなことにしか使われない!」

 周が問題視したのは、前日の歓迎夕食会で「中国国民に多大のご迷惑をおかけした(添了麻煩(ティエンラマーファン))」と述べた田中のあいさつだった。

 しかし、この“怒り”には疑問が浮かぶ。周は55年にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の際、経済審議庁長官の高碕達之助と会談しているが、高碕が「お国に対し種々ご迷惑をおかけした」と発言したのに怒ることなく、「戦争中のことはもうお互いに忘れましょう」と答えている。

2012.9.29 15:34 (3/4ページ)[日中関係]
 矛盾する周の言動を読み解くカギはテレビカメラにある、と中央大教授の服部龍二は考える。「前日の宴席では中国のテレビカメラも入っていた。周は田中が『ご迷惑』を軽い意味で使っていないことを分かっていたが何も言わないことは国内的に許されなかった」というのが服部の分析だ。

 つまり、周は中国国民の目を意識した上でパフォーマンスとして怒ったというのだ。

 こうした事情は、国内の反日機運にあわせて強硬措置を繰り出す現在の中国政府と共通している。



不満そらし 反日どこまで

歴史認識の変遷

 日本との国交正常化に際し、中国当局は国内に向けて「侵略戦争は軍国主義者が主導したもので日本人民も被害者だ」と説明した。

 プロレタリア文学者である小林多喜二の『党生活者』『蟹工船』、徳永直の『太陽のない街』などを翻訳し、各地の本屋や図書館に並べた。当時を知る中国の老知識人は「本で紹介された日本人民の悲惨な生活を知り、戦争賠償を放棄しても仕方ないと多くの中国人は思った」と振り返る。

 改革開放政策を推進するため、日本の資金と技術に依存した中国は、歴史問題で日本を批判することは少なかった。変化が起きたのは1989年6月の天安門事件がきっかけだ。事件後に国家主席になった江沢民は本格的な反日教育を開始、歴史問題が注目されるようになった。

 天安門事件では民主化を求める大学生らに中国軍が戦車を出動させて弾圧した。共産党も軍も国民から信頼を失った。江沢民は求心力を取り戻すために、全国で「愛国主義教育」を展開したのだった。

2012.9.29 15:34 (4/4ページ)[日中関係]
 「共産党軍は日本の侵略者と戦い国を守った」とアピール。学校の教科書でも日中戦争を大きく扱い、日本軍は残虐だと強調した。日中戦争をテーマにした映画やテレビドラマが数多く制作され、各地に抗日記念館が建設された。

 中国側の都合で、歴史認識問題が日中間の外交のテーマとなったのだった。98年11月に訪日した江が歴史問題に固執したことは記憶に新しい。

 平成18年9月に首相に就任し、最初の訪問国として訪中した安倍晋三は国家主席、胡錦濤との間で歴史共同研究委員会を立ち上げることで一致した。中国外務省関係者は「日本と関係を修復したい胡政権は、この共同研究で双方の歴史認識を共有させようとした」と証言する。

 だが、両国を代表する歴史学者らを集めたこのプロジェクトは期待された成果を挙げることはできなかった。ある中国側の学者は、「日本の学者は自由に歴史を研究できるが、中国側は共産党中央が決めた歴史認識に従うしかない。歩み寄ることは最初から無理だった」と語る。

 第1期歴史共同研究は両論併記の形で玉虫色に終わった。第2期開始のめどは立っていない。

似て非なる国民

 国交正常化の頃の貧しい中国は、今では国内総生産(GDP)で日本を追い抜き世界第2位。インターネットのユーザーは急速に広がり、中国政府も国民世論の動向として参考にせざるをえなくなった。

 尖閣国有化に反発する反日デモは、中国政府が容認して激化した面も強いが、ネットを通して各地で参加の呼びかけが行われた。興奮した群衆が警察官に殴りかかる映像に、日本政府内では「ここまできたか」とショックが広がった。

 慶応大准教授(中国政治)の加茂具樹(ともき)は、「中国共産党にとってネット世論は初めて直面する“見える世論”だ。中国全体を代表していないことは指導部も分かっているが、過剰に忖度(そんたく)して政策に反映させなければならないという意識が強い」と指摘する。

 世論対策として「歴史問題」を持ち出す外交スタイルは40年前のままだが、現在の中国政府は新しい世論をコントロールできるのか。失敗すれば、さらなる対日強硬策に傾くことは火を見るよりも明らかだ。(敬称略、肩書は当時)

●=簾の广を厂に、兼を虎に
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テーマ : 歴史
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