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上海戦から南京攻略に至るまで

南京事件の総括/田中正明より p179

松井大将は上海派遣軍司令官を命ぜられたとき五個師団編成を要求した。しかるに杉山陸相はじめ軍中央部は、三個師団足らずの兵力しかあてがわず、しかも装備に重火器を欠き、ために上海戦では予想外の悪戦苦闘を強いられた。上陸作戦の犠牲あまりに多く、戦局は進展せず、軍司令部は艦上にあって指揮を執り、松井大将が上陸したのは一ヶ月後の九月一四日のことである。その後も苦戦は続き、戦死傷者続出した。ある部隊のごときは、編成時の半数、あるいは三分の一ほどに減少すると言ったさんさんたる状況であった。中国軍の抗戦意識の高揚と、米英独ソの支援を受けた近代装備は、日本の参謀本部の予測をはるかに絶していたものであった。満州事変当時の張学良軍や馬賊に対する観念しか持っていなかった中央部をあわてさせた。作戦上最も拙劣と言われる逐次増兵を余儀なくされ、それでもどうにもならず、悪戦苦闘三ヶ月ののち、11月4日、ついに第十軍三個師団の杭州湾上陸となり、ここにはじめて局面は展開するのである。
兵隊たちは殺気立っていた。多くの戦友や上官がばたばたやられており、その復讐心に燃えていた。中国兵がこんなに強いとは思っていなかった。全く想像を絶した三ヶ月半の苦戦がいかに将兵の心を痛めつけ、いらだたせていたか想像に絶するものがあった。
松井大将は兵隊のそういう気持ちがわかっていた。だからこそ降伏勧告によって、平和裏に南京開城を達成しようと願ったのである。降伏勧告が拒否された場合でも、各師団の先発せる歩兵一大隊のみの入城を命じた(南京城攻略要領)。しかし実際は、中国側の清野作戦で城外の建造物がすべて焼き払われたため、宿営に困窮し、ほとんどの部隊が踵を接して入城してしまった。
追撃戦があまりにも急激であったため、補給が間に合わず、部隊によっては”徴発”で一時の飢えをしのいだ。ただし15日には後方からの補給で平常に復した。兵は夏の軍衣袴のままで、しかも、長期の激戦で軍靴も軍衣もボロボロの状態で、弾薬も極度に欠乏状態であった。
ちなみに上海戦における日本軍の戦死者は9115、戦傷者は31257(11月8日まで、嶋田繁太郎日記)を算し、南京攻略までをあわせると、戦死21300、戦傷病者5万余(松井石根『シナ事変日記抜萃』)を算した。
なお特記しなければならぬことは、南京を攻略した多くの部隊に「首都南京が陥落すれば内地へ帰還できる」という噂が流れていたことである。部隊の中から不始末をしでかすものが出ると、連帯責任で部隊ごと帰れなくなる、だからこそ軍紀を厳正にして、そろって帰れるようにしよう、そう戒め合って、相互監視していたのである。決して戦後伝えられるごとき軍紀風紀にでたらめな、のらくら部隊でも、鬼畜のごとき野蛮な部隊でも無かったのである。


阿羅健一 歴史通2011年3月号より

 戦死した丸亀連隊の第十中隊長は、死ぬ間際に「認識不足であった。今のシナ兵は匪賊とは違う。強い。」とつぶやいたという。死傷者は時間とともにどんどん増えていった。しかも、その数は予想もしなかったものであった。
 戦いは三ヶ月続き、第三師団はほぼ半数が死傷し、日本軍全体では第三師団を含めてなんと四万一千人という死傷者を出したのである。日露戦争におけるあの203高地の旅順要塞戦でさえ、死傷者は四ヶ月半で六万人だった。
 これだけの犠牲を出したのは、中国軍のこれまでにない高い士気と、その高度な武力だった。そして、その背後にいたのがドイツ軍事顧問団だった。
 上海にはドイツ顧問団の指導で、堅固なトーチカが作られていた。そして、日本軍を待ち受けていたのはドイツ顧問団の訓練を受けた精強な中国軍だったのである。
 同盟通信の松本重治上海支社長は、「上海の戦いは日独戦争である」と言い切った。
 しかし、昭和12年8月といえば、日本とドイツが防共協定を結んでからわずか九ヶ月後であり、昭和15年には、日本はドイツ、イタリアと、三国軍事同盟を結んでいるのである。この期間、日本はドイツにとって友好国であり、敵対する立場にはなかったはずだ。そのドイツが中国側に立ち、日本に多大な犠牲を強いた。しかも、米「ライフ」誌1938年昭和13年8月1日号は、ドイツ軍事顧問団のファルケンハウゼン将軍が、「最後には中国が日本に勝つと確信している」と語ったと伝えている。



上海戦から南京攻略まで

日本軍の行動
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/TimeTable.html

シナ事変(日中戦争)は中国側の侵略行為~第二次上海事変
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n14697

南京攻防戦の概要:南京放棄論を拒否し、堅壁清野作戦を命じた蒋介石
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-257.html

上海での戦闘

ハンス・フォン・ゼークト


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