村瀬守保氏の写真
毎日新聞が昭和58年8月16日付で「南京大虐殺は事実だ/証拠写真を元日本兵が撮影していた」と大きく報道した。この写真を見て高橋(義彦)氏は、これらの写真の背景からして、これはかつて自分が戦った新河鎮の戦跡である、一枚はその漂流の戦死体が、夾江と揚子江の合流点に打ち上げられたものと直感した。自分もこの場面を見たことがあるので、彼はこの写真の撮影者にそのことを確かめるため住所を「毎日」に問い合わせたが、何の返事も得られなかった(注:撮影した村瀬氏については阿羅健一氏も再三手紙で問い合わせ、アポイントを取ろうとしたが、これまたなしのつぶてであったという)。
その写真のキャプションも「揚子江に注ぐクリークに置かれた中国人の死体」となっており、占領の一週間のちに撮ったもので、のちになって撮影は川越市在住の村瀬守保氏(東京目黒しちょう隊)であることがわかった。村瀬氏は揚子江岸と言うだけでどこで撮ったかを曖昧にしているが、一枚の写真は死体の背景に木材の山があり、左に揚子江の支流が流れている。(写真A)一枚は明らかに堤防の土手の傾斜に死体が折り重なっており、他の一枚の洲に打ち上げられた漂流死体の背景は、見覚えのある合流点である。これは新河鎮における戦闘の中国軍戦死体の写真である。(写真B)---高橋氏はそう証言する。
これらの写真は、南京市文史資料研究会発行の『証言・南京大虐殺』の口絵に使われ、『南京大屠殺紀念館』に飾られ、同紀念館販売の『侵華日軍南京大屠殺暴行照片集』の表紙および中味に使われ、岩波書店から発行された藤原彰氏の『南京大虐殺』と言う本の挿画にも使われており、いまや”南京大虐殺”を立証する代表的な写真になっていることを銘記したい。
※「南京事件の総括」(田中正明)p209より
その写真のキャプションも「揚子江に注ぐクリークに置かれた中国人の死体」となっており、占領の一週間のちに撮ったもので、のちになって撮影は川越市在住の村瀬守保氏(東京目黒しちょう隊)であることがわかった。村瀬氏は揚子江岸と言うだけでどこで撮ったかを曖昧にしているが、一枚の写真は死体の背景に木材の山があり、左に揚子江の支流が流れている。(写真A)一枚は明らかに堤防の土手の傾斜に死体が折り重なっており、他の一枚の洲に打ち上げられた漂流死体の背景は、見覚えのある合流点である。これは新河鎮における戦闘の中国軍戦死体の写真である。(写真B)---高橋氏はそう証言する。
これらの写真は、南京市文史資料研究会発行の『証言・南京大虐殺』の口絵に使われ、『南京大屠殺紀念館』に飾られ、同紀念館販売の『侵華日軍南京大屠殺暴行照片集』の表紙および中味に使われ、岩波書店から発行された藤原彰氏の『南京大虐殺』と言う本の挿画にも使われており、いまや”南京大虐殺”を立証する代表的な写真になっていることを銘記したい。
※「南京事件の総括」(田中正明)p209より
村瀬守保氏の写真A

村瀬守保氏の写真B

南京大虐殺「これが現場だ」 / 毎日新聞、昭和58(1983)年8月16日
http://www.history.gr.jp/~nanking/mainichi_19830816.pdf
私の従軍中国戦線―村瀬守保写真集 一兵士が写した戦場の記録
「日本機関紙出版センター」という共産党系の出版社 1987年


村瀬守保
1909年(明治42)東京生れ。1937年(昭和12)応召、輜重兵、補充兵、二等兵。1940年(昭和15)召集解除で会社員。1945年(昭和20)いくつかの会社経営しその後、全国商工団体連合会常任理事、埼玉商工団体連合会副会長など歴任。1988年(昭和63)死去。
「全国商工団体連合会とは、民主商工会の全国組織で、日本共産党と共闘関係があり、「要求実現のために、協力・共同の関係をもっています」としている。」(Wikipedia「全国商工団体連合会」より)

笠原十九司「南京事件」p.73に掲載された写真
『老婆がつかまって、二人の日本兵に犯され、けがをした』というキャプションが付けられているという。
トップへ ”南京大虐殺”のまとめ 責任者は蒋介石・唐生智 日本は無罪

村瀬守保氏の写真B

南京大虐殺「これが現場だ」 / 毎日新聞、昭和58(1983)年8月16日
http://www.history.gr.jp/~nanking/mainichi_19830816.pdf
私の従軍中国戦線―村瀬守保写真集 一兵士が写した戦場の記録
「日本機関紙出版センター」という共産党系の出版社 1987年


村瀬守保
1909年(明治42)東京生れ。1937年(昭和12)応召、輜重兵、補充兵、二等兵。1940年(昭和15)召集解除で会社員。1945年(昭和20)いくつかの会社経営しその後、全国商工団体連合会常任理事、埼玉商工団体連合会副会長など歴任。1988年(昭和63)死去。
「全国商工団体連合会とは、民主商工会の全国組織で、日本共産党と共闘関係があり、「要求実現のために、協力・共同の関係をもっています」としている。」(Wikipedia「全国商工団体連合会」より)

笠原十九司「南京事件」p.73に掲載された写真
『老婆がつかまって、二人の日本兵に犯され、けがをした』というキャプションが付けられているという。
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