側室公認の時代の庶系男子は皇后の猶子とされた~男系なら生母は誰でも良い訳では無かった、すなわち男系絶対主義では無かった

 もちろん皇后所生の嫡子による皇位継承が最も望ましい。しかし、皇后がかならず御子(特に皇子)を儲けられるとは限らないため、側室所生の庶子による継承も可能としてきた。だからこそ百代以上も皇位を男系男子により継承できたのである。それが旧典範までは容認されていた。とはいえ、すでに昭和天皇が東宮時代より側室を勧められても拒絶され、また一般の近代的倫理観でも肯定しがたいことだから、新典範はそれを否認したのである。
側室公認の時代でも、皇后(皇太后)の地位・権威は格別に高かった。
 そこで、たとえば閑院宮家出身の119光格天皇(生母大江磐代)は118後桃園天皇の皇后近衛維子の猶子=養子とされ、
 次の120仁孝天皇(生母勧請修寺婧子)は、光格天皇の皇后欣子内親王(生母近衛維子)の猶子、
 次の121孝明天皇(生母正親町正子)も皇太后鷹司祺子の猶子とされ、
 122明治天皇(生母中山慶子)も英照皇太后九条夙子の猶子、
 次の123大正天皇(生母柳原愛子)も昭憲皇太后一条美子の猶子とされて、
 各々その上で即位するという手続きがとられている。
(中略)
 このように明治時代までは、側室とその所生による庶子継承を公認すると共に、皇后との養子縁組や宮家の養子継承も容認して、何とか家系を継続してきたのである。それを、新典範で両方とも禁止した。前者(庶子)の否定は当然であるが、これは従来と決定的に異なる重要な違いであって、こうなれば一夫一婦制のもとで確実に男子の生まれる保証はない。従って、その上に後者(養子)まで規制したのは、これまた行き過ぎと言わざるをえない。
所功「皇位継承のあり方に関する管見」より

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