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”南京大虐殺”の重要かつ不可欠な13のポイント

※この記事は以前、Yahoo!知恵袋の知恵ノートに投稿していたものですが、突如一方的に削除されたものです。理由がわかりません。その辺のことも考えながらお読みいただければ幸いです。

南京大虐殺、南京事件について、肯定派は、最低限、何月何日どこで(安全区?城内?城外?)誰が(民間人?中国兵?)誰に(中国兵?日本兵?)何人殺されたのか?
せめてこれくらいは明確にしてほしいものです。
この程度も確定できないのに、何があったと言えるのでしょうか?
『南京大虐殺(南京事件1937年)』とは、日本がシナ(中国)から度重なる挑発を受け、やむをえず宣戦布告の無い戦争をするに至り、当時のシナの首都南京で起きたとされる事件のことです。

いまだに政治カードとしてこの事件を利用している中国共産党は本来刑事訴訟に準ずる立証責任を背負わなければいけませんが、具体的事実(時間や場所、被害者や殺害状況)については全く曖昧なままです。へたに具体的事実を明示してしまうと嘘であることがばれてしまうので曖昧なままにしておいた方が良いのです。曖昧なままでも日本政府は謝罪するのですから。

以下の13のポイントを踏まえて、当時の南京で何があったのか、あなたなりの想像をしてみてください。

1.南京を戦場にしたのは蒋介石、日本軍は降伏勧告をしたが、司令長官の唐生智は勧告を無視して中国兵を置き去りにして逃亡した
『十一月十四・十五日、国民政府は作戦会議を開き、この南京で日本軍と戦うか、それとも南京を放棄して他の場所で戦うかを論議した。席上"南京放棄論"が多数を占めた。同席したドイツ軍事顧問団団長のファルケンハウゼン将軍もこれに賛成したが、蒋介石はあくまでも南京を固守するという防衛方針を決定した。蒋介石は唐生智を南京衞戍司令長官に任命した。トラウトマンによる和平交渉が実らず、停戦合意が成らなかったため、奇しくも安全区委員会が申し入れを行った同じ日である十二月一日、日本軍は南京を攻略することに決定、九日には国際法学者とも協議して作成した「攻略要領」に基づき、「和平開城の勧告文」を飛行機で城内に散布した。国際法に則って“無防備都市”つまり「防守都市に非ず」と宣言して開城すれば攻撃しないと中国側に通告したのである(第二次大戦におけるパリがその例で、これによってパリは破壊を免れた)。しかし、翌十日午後一時の回答期限に至っても何の回答もなかったので、日本軍は総攻撃に踏み切った。南京城外に中国軍が設けた主要な抵抗陣地で激戦が展開され、日本軍は十二日までに郊外の要衝(紫金山・雨花台・工兵学校など)を占領、その日の午後八時には唐司令官は麾下の軍に退却命令を出すとともに、自らも幕僚とともに脱出した(蒋介石は十二月七日早朝、南京を脱出している)。』※1
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-257.html

2.蒋介石・唐生智は卑劣な戦法を使った。「堅壁清野作戦」「督戦隊」「便衣兵」
『蒋介石は城外の同国人の財産・家屋を焼き尽くして敵に一物も与えないという中国伝統の「堅壁清野作戦」を命令、中国軍は南京城近郊の建物や民家が日本軍に利用されないように、これを徹底的に破壞・焼却した。』※1
さらに中国兵は「便衣兵」となって国際安全区に進入し南京市民に紛れ込んだのです。便衣兵の処刑には裁判が必要だと主張するサヨクが時々居ますが、ハーグ陸戦法規によると便衣兵は交戦資格をもたず、さらに部下の責任を負う指揮官が存在しなかった南京では中国側は誰も交戦資格を持っていなかったので、捕虜としての処遇を受ける資格を持つ兵はいませんでした。停戦交渉をすることも出来なかったので戦闘は継続していたとみなせるのです。第一、安全区に居た20万もの一般市民に紛れ込んだ何千人もの便衣兵を一人一人裁判にかけるのはどれだけの時間と労力がかかるか想像したことがあるのでしょうか?日本側は一般市民を巻き添えにしないように良民証を発行するなどできる限りのことをしていたのです。
『交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない』(田畑茂二郎著「新訂国際法」(下)203ページより)。
便衣兵の処刑に裁判は必要ない
南京督戦隊の跡が見れる動画です。
中国側は「督戦隊」という敵軍から逃げようとする味方を銃殺する非人道的な戦法を使っているにもかかわらず、「日本軍が戦意を喪失した敗残兵を銃殺したのは虐殺だ」と責めることは、果たして中立的な立場からの発言といえるのでしょうか?
兵器を捨てて降伏する者の殺傷は絶対的な禁止事項か?

3.南京城は「防守都市」で無差別爆撃できたが、日本軍は国際安全区にできるだけ被害が及ばないように配慮した。
このことについて国際安全区委員長ジョンラーベは日本軍に感謝状を贈った。
※防守都市とは「地上兵力による占領の企図に対し抵抗しつつある都市をいう」(原爆訴訟東京地裁判決、昭和38年12月7日)砲爆撃における軍事目標主義では、軍事目標および防守都市に対する砲爆撃が認められる。防守都市に対しては無差別攻撃が認められ、無防守都市に対しては軍事目標に対する攻撃が認められる。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-243.html
日本軍の処置に問題があったとしても、それが無差別攻撃を回避したがために起因し、より少ない不利益であるのなら許容されるべき。
蒋介石はなぜ南京城を防守都市にしたのでしょうか?蒋介石の判断によって南京市民は危機にさらされることになったのです。

4.当時の中国兵の実態「匪賊同然」
現在の中国軍である「人民解放軍」は中国共産党のための軍であり、中国人民を守るための軍では無い。そのことは辛亥革命以降シナ事変当時でも同様で、中国共産党の軍と中国国民党の軍がそれぞれ存在し、シナ大陸での覇権を争っていたのであり、中国人民を守るための軍では無かった。
『ハルビンでは次のような話が信用できるものとして流布していた。すなわち兵士の多くは、いつでも変えられる2種の腕章を持っている。彼らはあるときは、吉林軍すなわち「満州国」軍のしるしをつけ、また他の時には、反吉林軍、すなわち「満州国」軍および日本軍と敵対する中国軍のしるしをつけているというのだ。ここで問題になるのは伝統的な中国兵のあり方である。昔から中国に長いこと居住する欧州各国人の話によると、兵士は圧倒的に下層階級出身者が多かった。彼らは兵士も職業の一つと見なしていた。給料は月に2,3ドルに過ぎず、生計を保つのは難しく、金持ちになるためには戦利品を略奪するのが一番簡単であった。上流社会の中国人は一般に兵士を見下し、自ら軍隊に入ろうとはしなかった。古くからの考えによれば、軍隊に入るのは恥ずかしいことであった。』※2
『それでは実績のある軍に入ったらどんな良い目ができるだろうか。殺し文句はこうである。「一つ町を手に入れたら略奪は思いのまま、女も思いのまま」これが中国人が考える「ロメオとジュリエット」である。これを目当てに新兵さんは鉄砲を担ぐ。鉄砲が「食券」だ。さらに、遅れ気味ではあっても、寝返り防止に数ドルお手当ももらえる。大義名分まであるから言うこと無し。ただし、中身は学生のスローガンと何ら変わらない。お題目は立派でも悪事を働くのには変わりない。』※3
『唐生智は11月28日、外国人記者会見で、中国兵は訓練も足りず規律も良くないので不祥事が起こるかもしれない、無用の外人は退去されたいと警告している。』※4
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html
一方、日本軍は「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」を南京城攻略にあたり全軍に示達した。

5.ラーベは日本軍に49人の殺人しか報告していない、日本兵による非合法殺人を安全区委員会のメンバーが全く目撃していない
『ただの1件も殺人事件を目撃していないラーベが当時、本国のヒトラーに対しては犠牲者数を「5万から6万」、上海のドイツ大使館には「数千」と報告しながら、同時期の1月28日付けの南京のイギリス大使館宛手紙には「南京の25万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる放火のために家を失いました。そして、1家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族が数千と言わないまでも、数百あります。」と書いている。(中略)おそらくラーベも中国側の申し立てが単なる噂に過ぎないことを知っていたに違いない。なぜなら安全区の人口が減るどころか増えたことを彼ら自身が一番よくわかっていたからだ。また、何よりもラーベら安全区委員会は69通にも及ぶ日本当局への手紙の中で、ただの一度も「日本軍による民間人大量殺人をやめて欲しい」とは書いていないのだ。(中略)南京にいる日本当局には反論される恐れがあるので、ある程度信憑性のある情報に基づいて“犠牲者49人”という「被害届」を送付した一方、南京にいないジャーナリストやドイツ外交官、ヒトラーには中国人が語る噂話に基づいて数万もの市民が日本軍によって殺害されたかのように報告したのである。(中略)つまり、ハーケンクロイツ(ナチス)の腕章をつければ自由に動き回れたはずのラーベを初めとする欧米の安全区委員会メンバーは誰も、約六週間の間に日本軍兵士が実際に非合法殺人を行った現場を目撃していないのである。』※1
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-252.html
虐殺するどころか疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵の写真も残っています。【写真1】

6.中国側の証言も十分に集まらなかった上、信憑性が著しく低い
『東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」によれば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。ところが、日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむなく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。』※1
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-262.html
たとえ100人の虐殺であっても、安全区に20万の市民が集まっていたのです。証言はたくさん出てくるはずです。

7.スマイス報告は日本軍による虐殺の証拠にはならない
南京安全区国際委員会の事務局長であったルイス・S・C・スマイスが南京陥落の3ヶ月後に実施した戦争被害調査「スマイス報告」によると南京市街地(城内)での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、さらに南京周辺部(城外)での暴行による死者が9160、計15,760人が民間人の被害ということでした。これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です。
Q)12月7日に中国軍によって城外の建物が焼き払われ近郊の住民は住む所がなくなり、8日に唐生智司令長官は城内のすべての非戦闘員に対し「難民区」に集結するよう布告し、9日には日本軍が飛行機で「勧告文」を城内に散布したのに、それでも南京城外に9160名もの住民たちは降伏勧告回答期限まで残っていたのでしょうか?
Q)戦闘員ですら軍服を脱ぎ捨てて便衣兵となって安全区に隠れていたのに安全区外に6600名、南京城外に9160名も非戦闘員が残っていたのでしょうか?
Q)ラーベら国際安全委員会がいた安全区で日本軍はどうやって非戦闘員を何百人何千人も虐殺したのでしょうか?
Q)何千人、いや何百人であっても民間人が日本軍に虐殺されたというのなら、日本側が管理している安全区の人口がどうして5万人も増えたのだろう。逆に日本軍を恐れて人口が大量に流出・減少するはずではないでしょうか?
A)私個人の見解ですが、南京周辺部の死者9160名も城内の6600人も、ほぼすべてが中国軍による殺人(清野作戦や徴兵徴用、漢奸狩りなど)と見て良いと考えます。
さらに国民党の外交戦略に基づいて故意に歪められた情報であることも指摘されている。
中間派と呼ばれる秦郁彦氏と板倉由明氏は、日本軍による民間人殺害をスマイス報告による死者数の1/2から1/3と非常に大雑把に結論しています。私は彼らに上記の質問をしてみたいのですが、すでに板倉氏は他界なさっていらっしゃいます。

8.捏造・水増しされた埋葬記録
東京裁判にも書証として提出された二つの「埋葬表」によれば、一九三七年十二月から翌年秋にかけて崇善堂という慈善団体が十一万体、紅卍字会という慈善団体が四万体それぞれ埋葬したという。しかし、本当に十五万体もの死体を埋葬したのだろうか。
『紅卍字会の倍以上の埋葬を行ったはずの崇善堂の名はどの記録にも出て来ない。ベイツがまとめた『南京救済安全区委員会報告書』(一九三九年)にも、南京で埋葬活動をしたと記録されているのは紅卍字会だけであった。そもそも崇善堂の活動内容は「施料(衣料給与)・救恤(寡婦の救済)・哺嬰(保育)」であり「埋葬」は含まれていなかった。しかも市来義道編『南京』(一九四一年、南京日本商工会議所発行)によれば、崇善堂は南京陥落の一九三七年十二月から翌年八月まで活動を停止していた。崇善堂が当時、埋葬作業に従事したとする証拠は存在しないのだ。そもそも崇善堂の埋葬表は、事件から九年経った後の一九四六年に作成されたものであって、一九三八年当時作成されたものではなかった。』※1
捏造されたのは崇善堂だけではない。「紅卍字会」の埋葬数も不自然なところがあり賃金を多くもらいたいばかりに埋葬数を水増し報告してきた可能性が高いのである。
『以上のことから、紅卍字会の埋葬数は一万前後であり、その素性はほとんどが中国軍の戦死者だと推測できる。』※1
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-174.html
紅卍会の埋葬記録(約4万3千体)には女子供は皆無に近い。※4のp67

9.南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入った
その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、欧米メディアで”南京大虐殺”を報道した記者はダーディンとスティールのみであった。しかもパネー号誤爆事件やアリソン事件(アリソン米国領事が日本兵によって殴打された事件)よりも小さい扱いだったのである。
「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」
国民党中央宣伝部顧問 ティンパーリーの『WHAT WAR MEANS』
マスコミ報道でなく国民党自身によって南京陥落直後から約300回もの記者会見を行ったが、その中で一度も「南京虐殺があった」とは言っていない。※7
南京陥落から半月後のお正月の風景をご覧ください。

10.第二次上海事変から勃発したシナ事変は中国側の侵略行為
シナ事変(日中戦争)は中国側の「侵略」行為~第二次上海事変
我慢に我慢を重ねて我慢の限界を超えてやむを得ず南京攻略に至ったのです。南京に誘い込んだのは蒋介石なのです。シナ伝統の人海戦術というやつです。
『国民党軍機による8月14日の空襲により民間人3000人以上の死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明したが、租界への爆撃、もしくは誤爆はその後も発生した。(中略)日本政府は、国民党軍が上海において日本側に対しての砲撃、さらには日本の軍艦に対しての爆撃まで行ったことから14日夜から緊急閣議を開き、それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。』※8

11.当時の南京で頻繁に起こった「漢奸狩り」
文字が読めない人がほとんどだった当時の一般市民に中国側は絵で漢奸狩りを警告していました。【写真3】
『日中戦争初期に日本で発行された『画報躍進之日本』の中で、陥落前の南京における「漢奸狩り」が報告されているほか、『東京朝日新聞』、『読売新聞』、『東京日日新聞』、『ニューヨーク・タイムズ』も「漢奸狩り」について報道をおこなっている。戦争が始まると漢奸の名目で銃殺される者は南京では連日 80 人にも及び、その後は数が減ったものの1937年11月までに約 2,000 名に達し、多くは日本留学生であった(当時南京にいた外国人からも日本留学生だった歯科医が漢奸の疑いで殺された具体例が報告されている)。』※5
『中国では日中戦争が本格化すると漢奸狩りと称して日本軍と通じる者あるいは日本軍に便宜を与える者と判断された自国民を銃殺あるいは斬首によって公開処刑することが日常化した。戒厳令下であるため裁判は必要とされず、宣告を受けたものは直ちに処刑され、その首は警察官によって裏切り者に対する警告のための晒しものとされた。』※8
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-232.html
スマイス報告の死者数の大半は、この「漢奸狩り」の被害者ではないでしょうか?
南京市民にとって自分たちを守ってくれたのは中国軍だったのか?それとも日本軍だったのか?【写真1】

12.国際法を守り正々堂々と戦った日本兵の命よりも、便衣兵となり国際法を破った中国兵の命を重要視していないか?
捕虜の処刑やら安全区掃蕩をひたすら攻めるサヨクが多いのですが、この点は意外と忘れられがちです。
幕府山事件 釈放中の偶発事故
長江沿い下関の大量死体は同士討ちだった
安全区掃蕩 数千の敗残兵が区内に潜伏
日本側も無駄な戦闘などしたくなかったはずです。しかし司令長官が居なくなって統制が全くない中国兵に対して停戦交渉など平和裏に戦闘を終結することができず、やむを得ず悲劇が起こったことは想像に難くありません。そんな状況で卑劣な戦法を使った中国兵の命ばかりを尊重して日本兵の命は全く顧みない議論が続けられています。
【写真2】のように、安全区に隠れていた中国兵がのちに汪兆銘の親日政府の軍の軍長となった事例もあります。これは日本軍の対応が人道的だったからこその出来事ではないでしょうか?

13.中国共産党の洗脳工作と金目当ての「語り部」
元日本兵の証言や日記・手記を南京大虐殺の根拠とする肯定派は多い。しかしちょっと考えてみて欲しい。彼らの証言をそのまま根拠とするのはおかしいのではないか?自白のみを有罪の根拠とするのか?自白することによって彼らは何か利益を得ているのではないか?彼らの経歴を洗ってみる必要があるのではないか?
『元参戦兵士の中には、マスコミや運動体に担がれて不正確かつ誇大に罪行を告白する「語り部」として登場する例が少なくない。田所耕三、中山重夫、曽根一夫、舟橋照吉などで戦友会などとトラブルを起こしているが、もっとも有名になったのは東史郎上等兵(第16師団歩20連隊第3中隊)であろう。』※6のp305
金のために「語り部」となり、本を出版したり取材を受けたりして金を得ようとする輩が存在するのは残念なことだが事実である。”従軍慰安婦”では吉田清治が有名である。
もうひとつ忘れてはならないのが「撫順戦犯管理所」である。1950年ソ連より引き渡された900人以上の日本人や満州国の戦犯を収容した中華人民共和国による戦犯管理所で、ここでは元日本兵を収容管理して洗脳教育を施したことが明らかになっている。Youtubeで検索すれば動画が見られるのでご覧になっていただきたい。戦犯として収容された元日本兵は中国人職員も不満に感じるほどの恵まれた環境に置かれ、戦時中の罪状を告白すると賞賛され認めなければ批難されるという恐ろしい洗脳工作が行われていたのである。「中帰連」(中国帰還者連絡会)という団体で帰国後も活動が行われている。
中間派がよく引用する資料に偕行社の「南京戦史」がある。これについては秦郁彦氏の著書にこのような記述がある。『1989年に中国側から撫順収容所の戦犯だった太田寿夫少佐(第二碇泊場司令部)の供述書が流され、一部のマスコミが大きく報道したことがあった。「12月15日に着任して15万(大多数は住民)の死体処理を目撃した」というのが供述書の要旨だったが、太田の着任は25日だったことを記入した部下の梶谷健郎軍曹の日記の出現で、太田ばかりで無く戦犯の供述書全般に対する信頼性が揺らいだ。』※6のp309
偕行社の「南京戦史」にも洗脳を受けた中国帰還者連絡会の証言が潜り込んでいると言うことである。
元日本兵の日記を根拠に使う肯定派も多いが、日記とは本来プライベートなものであって、必ずしも事実を書くとは限らないのである。はやく中国軍をやっつけて日本に帰りたい、という願望から少々勇ましい空想を書いたとしても何ら不思議は無いのだ。日記だけでは証拠として不十分で他の裏付けが必要なことは言うまでもあるまい。南京陥落時の混乱に際して几帳面に日記をつけるということができたのかどうかも疑問が残る。

まとめ(私見)
私は当時の南京で日本軍による虐殺が一件も無かったとは言わないが、日本軍による組織的な一般市民大量虐殺は無かったと思っている。しかし何らかの新事実が出てくればこの認識が変わることもあり得る。
”南京大虐殺”に関する私の認識は、『ラーベが日本軍に報告した49人が日本軍による一般市民殺害の上限・最大数で、この49人を精査すれば大幅に下回ることもありうる。』です。49人というのは当時の日本側に伝えられた被害数であり、その当時日本側も調査・反論できた被害だったからです。中国側戦闘員の死者については蒋介石・唐生智が降伏すれば救われたのですから、中国側が日本側を責めるのはおかしな話です。
私のスタンスは「日本を守るために命を賭けて戦ってくれた祖先の汚名・冤罪を晴らしたい」というものです。

北村稔立命館大教授『一般市民を対象とした虐殺はなかったとの結論に達する』
※2007年4月2日の外国特派員協会における講演。2007/04/19週刊新潮

参考)
必見!陥落直後の南京の様子
南京大虐殺は真実ではないと思う理由/鈴木史朗(フリーアナウンサー)
本当にあった南京事件
本当にあった虐殺事件
”南京事件(1937年)”肯定派への反論 『日本側は無罪』

※1 再審「南京大虐殺」/竹本忠雄・大原康夫
※2 「満州国」見聞録リットン調査団同行記/ハインリッヒ・シュネー
※3 暗黒大陸中国の真実/ラルフ・タウンゼント
※4 「南京事件」の総括/田中正明
※5 Wikipedia「漢奸」
※6 南京事件(増補版)/秦郁彦
※7 別冊正論Extra.08 p72 西川京子
※8 Wikipedia「第二次上海事変」

【写真1】疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊)
Eiseihei.jpg

【写真2】劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将。彼は南京安全区に潜んでいたところを捕らえられ、しばらく苦力として雇われていたが、のちに汪兆銘の親日政府の軍の軍長となった(朝日版支那事変画報 1938.1.1刊)
Liu_Qixiong.jpg

【写真3】南京攻略戦後の南京市内で撮影された『首都各界抗敵後援会』発行のポスター。日本軍に好意を持つものは『漢奸』と呼ばれ、裏切り者として処分される。右上は、群衆に殴打される姿。右下は飛行機に信号を送ったものはかえって爆死するという意味。左上は裏切り者が捕えられて銃殺されている。左下はさらし首にして公衆への見せしめにしている。『画報躍進之日本』(東京東洋文化協会、1938年2月1日)
300px-Hanjian_poster_in_Nanking.jpg
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拡散の是非は?

素晴らしいですね。
拡散したい人もいると思います。
拡散の是非は?

ありがとうございます。拡散していただくのに承諾など不要ですよ。

APとロイター

間違って違う記事に投稿してしまいました。失礼。こちらに投稿する記事でした。

>しかし、欧米メディアで”南京大虐殺”
>を報道した記者はダーディンとスティール
>のみであった。
>しかもパネー号誤爆事件やアリソン事件
>(アリソン米国領事が日本兵によって殴打
>された事件)よりも小さい扱いだったのである。

はじめまして。南京事件を勉強しているものです。APとロイターは虐殺を報道しなかったのでしょうか?APとロイターの記事が見つからないのです。読んでみたいのですが全文読めるところをご存知ないでしょうか?
プロフィール

ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

http://twilog.org/nomorepropagand

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