スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

幕府山事件 釈放中の偶発事故

”南京大虐殺”とされる事件の中で筆頭にあげられるのがこの幕府山事件です。

「第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千余を収容した。ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。・・・・」
(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)

本当はこうだった南京事件/板倉由明より
従来、この捕虜殺害は上海派遣軍参謀・長勇中佐の独断命令という説と、殺害を実行しかねた山田市隊長、両角聯隊長が苦心の末とった釈放中の偶発事故という説があるが、当時この地区を担当した山田支隊長の行動からは、捕虜の集団処分はこの15,16日夜の2件のみで、中国側の主張する「十数万大虐殺」の存在は見られない。(中略)
日本人は本質的に冷酷になれないから、捕虜を見殺しにする勇気が無い。敵が食料を足ったら捕虜から先に餓死させれば良い。放って置けば「虐殺」でなく自然に死ぬものを、何とかせねばならぬと思い詰めるから精神的動揺が生ずる。南京への急進撃の結果、各部隊への補給は途絶えがちで、日本軍自体が食糧不足のため困窮している状態で、我に十倍する捕虜への給養はいかに努力しても不可能であった。速やかに何らかの処置をせざるを得ないと思い詰めたのが事件の原因かもしれない。なんと言っても殺し合いが終わってわずか2,3日しかたっていない。もちろん、山田市隊長以下の幹部をそこまで追い詰めた責任が捕虜対策の貧困あるいは欠落していた軍の首脳部にあることは否定できないが、現在明らかになっている史料の客観的分析からは、大量の捕虜を皆殺しにしようという意図も計画も感じられない。もちろんそれを示唆する軍命令も無い。
(引用終わり)

この幕府山事件についての栗原氏と平林氏の証言
連隊砲中隊の小隊長だった平林氏はこんな証言を残しています。
『・・・・・・・・一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃のため、空へ向けて発砲した。その一発が万波を呼び、さらに騒動を大きくしてしまう形になったのです。結局、仲間が6人も死んでしまっているんですよ。あれは偶発であり、最初から計画的に皆殺しにする気なら、銃座をつくっておき、兵も小銃をかまえて配置し、あのように仲間が死ぬヘマはしません。・・・・・・・・』(阿部輝郎著『南京の氷雨』)
(中略)
平林氏の主張は、論理的にみて尤もだと思われます。最初から計画的な処刑であるなら、捕虜を集めたところで一斉に撃ち殺せば済むことです。連行途中で暴動が起ったならともかく、集結が終ってから味方に犠牲が出るまで処刑する側が待たねばならない理由は皆無です。
(引用終わり)

幕府山事件 宣誓に依らざる捕虜解放に関する誤解より
幕府山のケースは、退却を要する事情や攻囲された状態こそありませんでしたが、捕虜を抱えていられない差し迫った事情があるという点では宣誓に依らざる解放が行われる一般的なケースと同質の状況でした。(中略)
宣誓に依らざる解放だったが故に、圧倒的多人数の捕虜の反撃を警戒して重武装が必要でした。
(引用終わり)

山田栴二日記18日にもあるとおり、生かすにしろ殺すにしろ、約4千人の捕虜を「始末」するのはどっちも大変です。そういう状況で困り果てて気の短い男が「やっちまえ」と投げやりに言葉を吐き捨てるのはよくあることです。問題はそれが本当に命令だったのか?実際はどのような対応をしたのかが大事なのであって、言葉尻を捕まえて「虐殺があった」というのはあまりにも短絡的としか言いようがありません。

まず以下の事実について念頭に置いた上でこの事件を検討しなければいけません。
@日本軍は降伏勧告しましたが、蒋介石唐生智は降伏せずに逃亡した。
@南京は防守都市であったため、無差別爆撃することも出来たがそれをせず、無差別爆撃した場合よりも被害者数が少なく済んだこと
@さっきまで敵として戦っていた相手を4千人も捕虜として捕らえたが、自分たちの食料にも事欠く状態で捕虜としておくことも出来ず、拘束するのに十分な縄や施設もなかったという差し迫った状況があったこと。

img002.jpg
朝日グラフ臨時増刊支那事変画報第11号 1938年1月27日発行
画像出典 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」青木書店より

こういう状況であった当時の日本軍を一方的に責めることは出来ないと思います。
清野作戦、督戦隊、便衣兵と卑怯きわまりない中国軍に対して、日本側は降伏勧告を無視されても無差別爆撃をしなかったのです。一体どちらが責められるべきなのでしょうか?
日本兵の命より中国兵の命の方が重いと考えているのでしょうか?
そもそも”虐殺”って、捕虜の処刑のことだったんですか?捕虜の処刑を”虐殺”と呼ぶには違和感があります。
辞書を引くと、虐殺とは「むごい方法で殺すこと」だそうです。やむにやまれず捕虜を処刑したことが虐殺というのなら、こういうのは一体どう評価するのでしょうか?
虐殺とはこういうのを言います。ベトナム戦争での韓国軍 法輪功 朝鮮戦争での処刑風景 天安門事件
捕虜を釈放するために戦死した7名(6名?)の日本兵はきっと悔しい思いをしていることでしょう。

参考)
原剛氏による虐殺否定論者に対する批判についての考察と反論
日本軍の処置に問題があったとしても、それが無差別攻撃を回避したがために起因し、より少ない不利益であるのなら許容されるべきと考える。
参考)
再審「南京大虐殺」 日本軍は捕虜殺害の方針だったのか

>>>南京攻防戦の概要:南京放棄論を拒否し、堅壁清野作戦を命じた蒋介石
>>>南京は国際法に違反しており捕虜としての資格を有しない
>>>蒋介石・毛沢東こそ大虐殺をしていた?
>>>集まらなかった中国側証言 数少ない証言も〈反対尋問〉に耐えられない

幕府山事件とは関係ないかもしれませんが、日本兵の証言が見れます。

板倉由明著『本当はこうだった南京事件』より
『小野賢二資料集掲載の兵士の日記にも、しばしば作戦についての言及がある。しかし、その多くは確実に把握した正確な情報では無く、小耳に挟んだ知識の断片や伝聞・噂のたぐいである。虚勢や強がりで「捕虜は皆殺しだ」と大言壮語したのが記録されて、戦後日本軍の非行の証拠とされている例もある。かの「百人切り競争」なども虚から実を生じた最悪の例だが、この資料集だけから軍の意向を判断するのは本質的に無理である。』
『日本人は本質的に冷酷になれないから、捕虜を見殺しにする勇気が無い。敵が食料を足ったら捕虜から先に餓死させれば良い。放って置けば「虐殺」でなく自然に死ぬものを、何とかせねばならぬと思い詰めるから精神的動揺が生ずる。南京への急進撃の結果、各部隊への補給は途絶えがちで、日本軍自体が食糧不足のため困窮している状態で、我に十倍する捕虜への給養はいかに努力しても不可能であった※4。速やかに何らかの処置をせざるを得ないと思い詰めたのが事件の原因かもしれない。なんと言っても殺し合いが終わってわずか2,3日しかたっていない。もちろん、山田市隊長以下の幹部をそこまで追い詰めた責任が捕虜対策の貧困あるいは欠落していた軍の首脳部にあることは否定できないが、現在明らかになっている史料の客観的分析からは、大量の捕虜を皆殺しにしようという意図も計画も感じられない。もちろんそれを示唆する軍命令も無い。』
『一万人を四列縦隊にして前後の感覚を1メートルにすると2千5百メートルの長さになる。(中略)収容所と殺害現場の距離は4~5キロというから、先発組が現場に到着してもまだ3分の2は収容所から出発できない。最後尾が到着するまで先発組は5時間も吹きさらしの河原で待つことになり、路上には延々たる捕虜の列が7時間以上も続く。(中略)結局捕虜の実数は一万人など居なかった、と考えるのが最も合理的な説明である。』
スポンサーサイト

テーマ : iPhone 4S
ジャンル : 携帯電話・PHS

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

http://twilog.org/nomorepropagand

人気ブログランキングへ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
リンク
相互リンク歓迎いたします。左翼の方も大歓迎です。
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。