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集まらなかった中国側証言 数少ない証言も〈反対尋問〉に耐えられない

中国側の証言も十分に集まらなかった上、信憑性が著しく低い。やっぱり”南京大虐殺”など無かったのである。

再審「南京大虐殺」/竹本忠雄・大原康男より
集まらなかった中国側証言
 東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」によれば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。 ところが、日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむなく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。
 その後も調査を進め、ようやく「五百件の調査事実」を発掘したが、「資料を獲得する毎々一々これを審査」した結果、新規に採用できたのは僅か四件であった。ともかく「魯甦」証言と、慈善団体である「崇善堂」と「紅卍字会」の二つの埋葬表と新規四件の証拠、計七件の証拠に基づいて「被殺害者確数三十四万人」という結論を出し、一九四六年二月に東京裁判所へ提出した(速記録第五十八号)。しかし《七件》の犠牲者数を単純に積算しても《二十二万八千人》にしかならず、結論の《三十四万》と大きく食い違っている。
 その食い違いを東京裁判の国際検察局から指摘されたのだろう。『資料選輯』によれば、中国国民政府は「極東法廷証拠法の要求するところに合致させるため」、東京裁判開廷から二ヶ月後の一九四六年七月一日から十一月十一日まで約五ヵ月間にわたって再調査を実施した。その結果、「確かな証拠にもとづいて出廷し証言した者は二千七百八十四件分、その中でも被害状況が重い被害者で出廷し証言し得た者は十一件分」あったという(この内、三件は東京裁判に提出済み)。ともかく二つの埋葬表と、この十一の証言とによって、ようやく犠牲者数は三十四万となった。
 以上のような経緯から、次の二つの真相が浮かび上がってくる。
 一、八年前のこととはいえ、南京には当時、二十万人以上の中国人が住んでいた。にもかかわらず、当時の中国人は、敗戦国となった日本軍の犯罪を告発するのに消極的であったり否定的であり、かつ信憑性のある証言をする者もほとんどいなかった。
 二、東京裁判に提出した証拠だけでは「犠牲者三十四万人」を立証できなかったため、東京裁判中も中国側は証言集めに奔走した。言い換えれば、中国側は証拠も揃わない内から予め犠牲者を「三十四万」以上と決めていたとの疑念を生じるのを禁じ得ない。
 「大漢和辞典」によれば、中国では「白髪三千丈」などというように、「三千」には「大変多い」という意味がある。南京ではその百倍もの犠牲者が出たとする中国側の一方的な発想によって、あくまで政治的に決定した数字だったのではないか。

〈反対尋問〉に耐えられない証言ばかり
 以上のように、中国政府は、中国国民党が戦後、多大の苦労をしてようやく集めた十一件の証言によって「十九万人が集団殺戮された」と主張している。
 しかし、その計算の仕方は杜撰極まりない。どこそこでAという中国人が、日本軍が何万もの中国人を集団殺害しているのを目撃したというような《十一件》の証言の犠牲者数を単純に合計して十九万人という数字を主張しているに過ぎないのである。
 しかも、この十九万に関して『資料選輯』は「集団殺戮に会い、死体を焼かれて痕跡をとどめなかった者は十九万以上に達」したと主張し、死体なき殺人事件だと言い張るのである。数名ならともかく、十九万人もの死体が跡形もなく消えたと言われて、誰が信じることができるだろうか。
 実はこれら十一件の証言は、事件から八年も経った後に集められたものであり、反対尋問も受けていない。その内容も合理性を著しく欠く。何故なら、これらの証言を信じれば、陥落直後の十二月十四日から十八日までのたった五日間に、一日平均三万八千人もの中国人が、約千六百人の日本軍歩兵第七連帯第一、第二大隊(その多くは治安維持や警備を担当していた)の手によって安全区及びその付近において殺害され、十九万もの死体はすべて石油などで焼かれて痕跡をとどめなかったことになるからである。
 大量殺害施設として名高いナチスのアウシュヴィッツでさえ、殺害数は一日平均約七百十人であった。一日平均三万八千人も殺害するためには、アウシュヴィッツ並の施設が五十三箇所も必要となる。もちろんそんな施設はなかった。
 では十一件の証言はどのようなものか。〈起訴状〉にその内の一件、「魯甦」の証言に基づいて次のように書かれている。
 日本軍は十二月十八日、南京城北の草鞋狭で捕虜と老若男女の避難民を含めた五万七千余人を一ヵ所に集めて、まず機関銃で掃射し、さらに生きている人を銃剣で刺殺し、その上にガソリンをまいて焼いた。おなじような大規模な虐殺は南京陥落後の一週間のうち数件おこなわれた。
 東京裁判にも証言を提出した「魯甦」によると、日本軍は、近郊の村に包囲・拘禁していた五万七千四百十八名もの難民と兵士を十二月十六日夜、ワイヤーロープで二人ずつ括り、四列に並べて下関・草鞋峡まで追い立て、機関銃で掃射しつくした後、さらに銃剣でやたらめったら突き刺し、最後に石油をかけ、火をつけて焼き、残った人骨をことごとく揚子江の中に投げ入れた。この一部始終を、南京城内の「市街戦」に際して「砲弾」を受け「腿」に負傷し上元門大芽洞に避難した証言者が「目の前で」目撃したという。
 この〈証人〉が法廷に出廷していたならば当然、次のような〈反対尋問〉を受けただろう。
 一、証人は闇夜の中でいったいどうやって五万七千四百十八名もの犠牲者を一桁まで正確に数えることができたのか。
 二、日本兵が要所を固めている城内から城外の下関までの道を、証人はどのようにして通って、殺害現場を目撃できる場所に行けたのか。
 三、六万人近い中国人をワイヤーロープで縛り上げるのに日本兵は何人くらいおり、どれくらいの時間を要したか。中国人はおとなしく縛られたのか。
 四、六万人もの中国人を殺害現場まで押送するのに、警護の日本兵は何人いたのか。
 五、六万体もの死体が骨になるまでにどのくらいの時間がかかったのか。また六万体もの人骨を揚子江に流すために、どのくらいの日本兵がどのくらいの時間をかけたのか。
 更に、数時間にわたる機銃掃射の音が夜間に下関で鳴り響けば、安全区にいた安全区委員会のメンバーなど誰かが気づいたはずだが、他に傍証は存在するのか。この疑問に、本〈証人〉を採用した告発側は、答えねばならない(安全区委員会の記録には、この時期に日本軍によって殺された中国人の数は十四人と記録されている)。
 こうした〈反対尋問〉を想定すれば、この証言に証拠としての立証能力を認めるのはほとんど不可能だ。中国側が懸命に集めて、ようやく採用した証言でさえ、かくもいい加減なのである。ほかも推して知るべしであろう。「十九万人殺害」の根拠たる中国側証言に〈証明力〉はもとより〈証拠能力〉すらない。

>>>南京大虐殺と欧米人の証言
>>>南京大虐殺捏造の証拠
>>>パール判事は南京大虐殺など認めていない
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