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笠原十九司「城内の中心街に数千数万の死屍累々などという光景はまったくない。」



「南京大虐殺否定論13のウソ」 笠原十九司「数字いじりの不毛な論争は虐殺の実態解明を遠ざける」より

『南京大虐殺事件、略称としての南京事件は、日本軍が南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民に対して行った、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体のことをいう。事件の発生区域は、南京城区(市部・戦前の人口約100万人)とその近郊の6県(県部・戦前の人口約130万人)を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京戦の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領地域でもあった。
南京事件における大規模な集団虐殺は城内ではなく、城外近郊の長江沿いや紫金山山麓、水西門外の郊外などで発生している。集団処刑は、中国軍の投降兵、捕虜、敗残兵、元中国兵と疑いをかけられた一般男子などを捕縛して城内から城外へ連行して殺戮したケースが多かったから、城内の中心街に数千数万の死屍累々などという光景はまったくない。
しかし、現在の南京市の城内各地に虐殺記念碑が建っているように、城内の空き地や田園地帯、丘陵地帯において相当規模の集団処刑は行われた。』p.92

笠原十九司によれば、中国軍の半数以上が日本軍に捕らえられ、又は降伏して、すべて不法に虐殺された、ということのようです。彼ら中国兵には、命令遂行責任とか、そういう概念がなかったのでしょうか?それって軍隊って言えるんですか?

『南京事件の集団虐殺で最も多かったのが、本書第8章と第9章※に詳述した戦時国際法に違反しての中国軍の負傷兵、投降兵、捕虜、敗残兵の処刑であった。拙稿「南京防衛戦と中国軍」(洞富雄他編『南京大虐殺の研究』)で中国軍側の資料を使い、拙著『南京事件』で日本軍側の資料(前述したように大半が焼却処分されてしまったが)を使って分析した結果、戦闘兵11~13万、それに雑役を担当した少年兵、輜重兵(軍需品の輸送・補給にあたる兵)などの後方勤務兵、防御陣地工事に動員された軍夫、民間人人夫、その他の雑兵など正規、非正規の区別もつきづらい、したがって軍服も支給されないような非戦闘兵もくわえて総勢約15万人の中国軍関係者のうち、8万余人が不法に虐殺されたと推計される。』p.95

※第8章は小野賢二氏による幕府山事件、第9章は吉田裕氏による戦時国際法

『1937年12月初旬には、南京防衛軍が「清野作戦」(侵攻してくる日本軍の遮蔽物に使われる可能性のある建物を全て焼却してしまう焼野原作戦)で城壁周辺と街道沿いの村落を焼き払ったため、犠牲になった膨大な農民が難民となって城内に避難してきたし、日本軍の南京進撃戦に追われた広大な江南地域の都市、県城からの難民も移動してきた。一方では安全と思われる近郊農村へ避難していった市民も少なくなかったから、人口は流動的であったが、他の資料とも照合した結果、南京攻略戦が開始されたときは、南京城区にいた市民、難民はおよそ40万から50万であったと推測される。それに日本軍の南京攻撃包囲下におかれていた中国軍の戦闘兵、後方兵、雑兵、軍夫など総勢15万人を加えてカウントしておくべきである。』p.85

40万人から50万人居た南京城内の市民、難民が、「城内の中心街に数千数万の死屍累々」させずに何万人も虐殺して20万人にまで減らした、と言いたいのでしょうか?それでも逃げずに居た20万人は目撃者として証言を残したのでしょうか?

『金陵大学社会学教授スマイスは、1938年3月に助手をつかって行った「南京地区における戦争被害-1937年12月から1938年3月」というサンプリング調査(市部では50軒に一軒、農村部では10軒に一軒)の結果とし他の資料を総合して、民間人が殺害されたのは、市部で1万2000人、県部は6県のうち4県半のしかも県城を除外して農村部だけであるが、2万6870人という被害者数を算出している。注目されるのは、城内(市部)よりも近郊農村の被害者数のほうが多いことである。南京地区の近郊区の県城と農村における犠牲者数の実態が今後解明されていけば、民間人の被害者数はもっと増大していくにちがいない。
民間人の犠牲者数について、同時代の公式調査資料はないが、ひとつの参考資料として現場に居た人たちの推定資料がある。ラーベがヒトラーに提出した報告書には、、、、』p.93

スマイス調査の被害者数を、すべて何の疑いも無く、日本軍が加害者であるという前提で話を進めておられます。

我々の現段階における推定総数と中国側の「虐殺30万人説」との違いは、さほど大きな問題ではない。南京大虐殺の規模の大きさと内容の深刻さを認識していることにおいて、基本的には我々と中国側とは同じである。重要なのは、日中双方が事件の実態と全体像の実証的解明を進めていく過程で、より実数に近い数字に接近していくことなのである。』p.96

笠原氏ら本書の執筆者たちは、中国側との見解のすりあわせが目標なんですね。

※本書は1999年10月初版です。
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