スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

言質を取られたら終わり~「言語の自由」なき中国社会




岡田英弘著『この厄介な国、中国』(WAC BUNKO)より


中国人のしたたかな所は、決して人間の内面にまで踏み込まないところである。いくら洗脳したところで、本当にその人間が洗脳されたのかどうかは、当人以外はわからない。だから、そんなあやふやなことに頼るようでは、中国人として生き残れない。

そこで、「唯一、信用できるのは言葉だ」ということになる。

たとえば、

鄧小平語録の中に「先に富めるところから富んで、市場経済を先行させる」という言葉があるが、政府は国民に対して、この言葉をお題目のように唱えさせた。ここで重要なのは、国民がその言葉に心服しているかどうかではない。その言葉を言ったかどうかが問題なのである。

要するに、言質を取ることが目的なのである。つまり、鄧小平の講話の一説を読み上げれば、その人物は鄧小平に対して全面的に心服したと見なされる。「あのときは、強制的に読まされたのだ」などという言い訳は通じない。もちろん、言わなければ、鄧小平に反対の思想を抱いていると直ちに認定される。「言語の自由」なき社会--一見すると、これほど恐ろしい社会はないように思える。

だが、スターリンの時代のソ連のように、勝手に裁判所が「お前は叛逆思想の持ち主」と認定して、死刑宣告するような社会に比べれば、ずっと文明的とも言える。とりあえず、時の政府に従って、その文章を形なりとも読み上げていれば、無罪放免となるのだから。

文化大革命では、中国全土で糾弾大会が開かれた。反革命分子とされた人に三角帽子をかぶせ、罪状を書いた板を首から提げさせて町を引き回したり、壇上に上げて自己批判を迫ったりしている情景が、テレビのニュースや映画でしばしば放映されたものである。

しかし、そこまでの手間をかけるのであれば、いちいち糾弾集会など開かず、目を付けた人間を片っ端から引っ張っていき、銃殺すれば良いではないかとも考えられる。実際、先ほど述べたように、スターリンのソ連や、ポル・ポトのカンボジアはそうやっていた。

ところが、中国ではそれが起こらないのは、バルネラビリティの原理が働くからである。つまり、何の証拠もないのに銃殺したという事実は、銃殺刑を宣告した人間の「弱点」になる。後になって、違法な銃殺をしたということが採りあげられ、それで追い落とされてはかなわない、と中国人たちは考える。

そこで、彼らが頼りにするのは「言葉」となる。つまり、攻撃対象の人間から「私が悪かった」という言質を取る。そうすれば、大手を振って銃殺にできる。だから文化大革命では糾弾集会にかけ、徹底的につるし上げた。とにかく、相手を精神的に追い詰めて「自白」を取る。そうしなければ、中国では毛沢東のような権力者であっても、人ひとり殺せないのである。

もし、素直に罪を認めたとすれば、日本なら、よく正直に自白した、改悛の情があるといって罪一等を減じることもあるが、中国ではそんなことはあり得ない。「その通りでございました、私は毛主席に背きました」「私はアメリカ帝国主義、資本主義の手先でございます」「日本のスパイでございます」などと言えば、待ってましたとばかりに銃殺にあう。

だがこれは、最後まで自白しなければ、いくら状況証拠がそろっていても罪には問われないということでもある。少なくとも、死刑にすることはできない。せいぜい収容所に放り込んで、死んでくれるのを待つ、ということである。文化大革命の時に、毛沢東は何としてでも劉少奇を殺したかったのだろうが、彼は「罪」を自白しなかったので手が出せなかった。

文化大革命当時、人民政府に敵対する罪を犯したとして逮捕され、その後六年半にわたって独房に幽閉されつづけたチェンニェンという女性がいる。彼女の回想録が『上海の長い夜』(原書房刊)というタイトルで日本でも出版されたから、ご存じの方もあるだろう。チェンニェンの夫はシェル石油の上海支店の総支配人であり、夫の死後も彼女はシェルの経営幹部の顧問となってシェルと中国の役人の調整役をしていた。そんなとき、文化大革命が起こった。

彼女は反革命分子という疑いをかけられ、取り調べを受けることとなる。だが、彼らの本当の標的は、イギリスの資本を中国に積極的に入れた周恩来であった。彼女がスパイであるということを証明し、その次に周恩来の罪を問うというのが彼らのシナリオだったわけである。だが、彼女はその長い獄中生活にあって、濡れ衣を着せられたことに対してあくまで抵抗し、いかなる拷問にも屈せず最後には冤罪に対する謝罪文を、『人民日報』に掲載するよう、要求さえした。粘り強い抵抗に根負けした役人は、彼女が六年半に及ぶ教育で改善されたとして、ついに彼女を釈放した。

こういう文化大革命の物語をスターリンが読めば、きっと大笑いするだろう。「さっさとその女を死刑にして、周恩来も死刑にすればいいのだ」と。だが、中国では自白しない人間には手が出せない。そのことを彼女はよく知っていた。だから、絶対に当局が望むような発言はしなかった。同書の中で、彼女は「実際、私が生きながらえるかどうかは、私に向かって発せられた言葉、そして、私の言葉とにかかっていた」と書いているが、これはまさしく真実である。

このような言葉に対する思い入れの深さは、日本人の想像を絶したところがある。この傾向が極端にまで進むと、いくら悪いことをやっていても、口先で「やっていない」と言い続ければ、中国人は誰も文句が言えなくなるわけである。

その好例が、中国と台湾の統一問題ということになる。一章でも書いたとおり、鄧小平は米中国交樹立の際に、事実上「祖国統一」を放棄した。そのことは周囲も皆知っているのだが、鄧小平は倦まず弛まず「祖国統一」を叫び続けた。こういう人間を日本人は決して許さないが、中国ではそれが通るのである。なぜなら、中国人が問題にするのは、その人間の本心ではなく、言葉なのだから。


スポンサーサイト

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ソクラテス太郎

Author:ソクラテス太郎
アテナイ人諸君、こういう噂を撒きちらした、こういう連中がつまりわたしを訴えている手ごわい連中なのです。
そして、その連中というのは、嫉妬にかられて、中傷のために、諸君をあざむくような話をしていたわけなのであって、かれらのうちには、自分でもすっかりそう信じこんで、それを他人に説いているような者もあるわけなのですが、いずれもみな厄介至極な連中なのです。

http://twilog.org/nomorepropagand

人気ブログランキングへ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
リンク
相互リンク歓迎いたします。左翼の方も大歓迎です。
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。