中国人の行動原理「指桑罵槐」と、反日中国のきっかけ




岡田英弘著『この厄介な国、中国』(WAC BUNKO)より

中国人の行動原理を表すものに、「指桑罵槐」ということわざがある。桑は畑に植えられる木で、葉は蚕のエサになるが、槐は街路樹や植木として植えられ、家具を作る際の材料となる喬木であって、似ても似つかない。つまり「桑の木を指して槐を罵る」というのは、「本当の怒りの対象とは全然別のものを攻撃する」という意味である。「ニワトリを指して犬を罵る」と言っても意味は同じである。


中国人が怒っているとき、その言葉を鵜呑みにしてはいけない。中国人は、どんなときも表だって誰かを批判したり、攻撃することは決してない。当事者を直接批判することはほとんど無く、この「桑を指して槐を罵る」というやり方を採る。つまり、ある相手を攻撃しているように見せて、実は別のところにいる人を批判しているのである。

だから、もし中国人が面と向かって罵り言葉や批判を投げつけたときには、それにただちに反応してはならない。よく相手を観察し、彼らが真に攻撃したい対象が別のところにあるのではないかと考えるべきである。言い換えるなら、彼らが書かないこと、語らないことにこそ、事の本質が潜んでいるとみるべきなのである。

そのことが最も顕著に現れるのが外交関係である。
その典型的な例が、2001年に再燃したいわゆる歴史教科書問題である。ここでは、1982年に起きた教科書問題を取り上げてみよう。これは、文部省が世界史の教科書の検定で「侵略」という表現を「進出」に書き直させたと日本の新聞が報じたことがきっかけで、中国で大々的な反日キャンペーンが起こり、外交問題となった事件である。

しかし、念のために付け加えるなら、この発端となった日本の新聞報道は全くの誤報で、後の調査でも書き換えが行われた教科書は一冊も確認されなかった。だが、当時はそれが事実として論じられていたのである。

この”誤報"に対して、当初、中国当局は極めて無関心であった。日本の新聞が始めて教科書検定における文部科学省の「圧力」を問題にしたのは、この年の六月二六日のことである。この報道が出た直後、中国ではただ一紙「人民日報」にだけ記事が出たが、コメント抜きで新華社電を引用しただけの、ひじょうにクールなもので、またそれに続く報道も全く見られなかった。連日、文部科学省批判が繰り広げられていた日本とは大違いであった。しかし、これは考えてみれば当然のことで、教科書検定は日本の内政問題であり、本来、中国が発言すべき筋合いのものではない。

ところがそれから一ヶ月後に、事態は一変する。一ヶ月前には無関心だった「人民日報」が、突如として「この教訓はしっかりと覚えておくべきだ」との評論を発表した。そして、これ以後、中国の政府やマスコミの論調が、雪崩を打って反日強硬路線になっていった。明らかに、この対日批判の後ろには中国高官が関与していた。

私は、この中国の急変ぶりを見て、「ああ、また”指桑罵槐”が始まったな」と思った。彼らがこれほど露骨な日本攻撃をしてくる背後には、もっと別の意図があるにちがいない。中国のマスコミは日本攻撃を利用することで、誰が別の相手を罵っているのである。

日本の最初の新聞報道から二ヶ月ほど経った頃、いよいよ主役が姿を現した。人民解放軍である。八月二日付の人民解放軍機関誌に、次のような論説が掲載された「今回の教科書問題で、日本の野望は明確になった。日本人は再び中国を侵略するつもりである」--論文にはそこまでしか書かれていないが、その意図するところは誰にでもわかる。つまり「日本の再侵略に備えるために人民解放軍を強化しろ」と言うわけである。

これを読んで、私は全てがよく見えるようになった。中国マスコミが日本批判を繰り広げている陰で糸を引いているのは、人民解放軍の長老たちであった。そして、その軍の長老たちが本当に攻撃したがっているのは、中国共産党中央、もっと正確に言えば、当時中国の最高権力者であった鄧小平だったのである。

文化大革命によって、中国では党と行政の組織が完全に破壊され、混乱が長く続いたことは、読者もご存じのことだろう。工業生産はおろか、食料生産も止まり、数十万、数百万の餓死者が出た。そんな中で唯一無傷であったのが人民解放軍であった。軍は文革の混乱の中、うまく立ち回り、その影響を受けなかった。この結果、中国において軍の力が強くなり、彼らの意向を無視しては何も決められない状態になったのである。

幸い、鄧小平自身は、国共内戦中には人民解放軍第二野戦軍の政治委員であったため、軍人の間に太い人脈を持っており、目下のところ、軍をある程度は抑えていける。だが、その後継者と目されている胡耀邦らには軍歴が無く、軍を掌握していくことはできそうにもない。これが当時--そしていまも--の中国が抱えている最大の問題である。

そこで鄧小平は、今や共産党内で軍の最も強力な権力機構となった党中央軍事委員会を廃止し、国家軍事委員会に移管することによって、軍の力を弱めるというドラスティックな改革をやろうとしていた。

これに対して、当時総参謀長であった楊尚昆をはじめとする、国共内戦以来、人民解放軍を率いてきた長老たちが危機感を覚えたのは言うまでもない。何とか、鄧小平に揺さぶりをかけ、彼の改革に歯止めをかけたい--そんなときに起こったのが、日本の教科書問題であった。彼らはこれが鄧小平攻撃の格好の材料に使えることに気づいたわけである。

だから、軍の長老にとって、実は教科書問題などどうでもよかった。そもそも日本のマスコミは「侵略」が「進出」に書き換えられたと騒いでいるが、その「進出」という言葉の意味すら中国人にはピンとこないのである。

実は、この問題が反日キャンペーンに発展したあとになって、新華社通信が「進出」の意味を解説している。中国語では「進」は「入」と同じ意味であるし、「進出」という中国語もない。そのため「進出」という語を中国流にあえて読めば「出入」という意味だと思われてしまう。だから、この教科書問題について、一般の中国人には言葉の意味すらわからない。当然、何が問題なのかということもわからなかった。このことからも、教科書問題キャンペーンが中国人民の自発的な感情から生じたものではなく、一部の意思に基づいて仕組まれた物であることは一目瞭然なのである。

話を戻せば、当時の状況において、鄧小平ら共産党幹部にとって、日本は一種のアキレス腱であった。というのもこの問題が起こった1982年は、ちょうと日中国交樹立十周年目にあたり、それを記念して趙紫陽が五月三一日から六月五日まで日本を訪問していた。その様子は連日中国のマスコミによって報道され、当時、中国の街には「われわれは、いまに日本のようになるのだ」というスローガンが溢れていた。その親日ムードを作っているのは、言うまでもなく鄧小平たちである。経済改革を志向する共産党中央にとって親中国の日本は、外交上極めて重要な存在だった。

そんな時期に「日本はいまだに軍国主義であり、中国に対する再侵略を計画している」と言えば、誰がいちばん困るか。言うまでもなく鄧小平である。そのような事実は無いと言ったところで、こういう場合、弁解すればするほど、鄧小平の立場は苦しくなる。軍国日本というレッテルが既に付けられている以上、その日本を弁護することは墓穴を掘るようなものである。この日本批判キャンペーンは見事に成功を収めた。鄧小平の党内発言力は弱まり、一方の人民解放軍長老の発言力は増した。

結局、政府は軍に降伏する形となり、その後に開かれた中央委員会第七回総会で「党中央軍事委員会を廃止しない」ということが決定された。長老たちは勝ったのである。

ところが、日本政府は彼らのやり方、つまり「指桑罵槐」が読めなかった。そして、中国が日本に対して本気で怒っていると思ったらしい。そして、あろう事か、当時の宮沢喜一官房長官はそれが誤報であると知っていたにもかかわらず、中国に対して謝ってしまった。しかも「今後の教科書検定は近隣諸国の感情に配慮する」などと言う馬鹿げた談話まで出してしまったのである。

これは、中国、ことに軍長老たちにとっては思わぬ拾いものであったに違いない。彼らとしては日本の対応など二の次であったのに、何と進んで日本の方から首を差し出してきたのだから。日本という国は、中国が強い態度に出ればいくらでも謝るという「発見」が、その後の日中関係を大きく変えたことは、改めて言うまでも無い。



※このほかにも、この本では1996年の中台危機、1996年の台湾香港の活動家による尖閣上陸事件、シナ事変などが指桑罵槐の実例として紹介されています。
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