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陥落直前の南京の人口は?

『南京の陥落を前にして、中国軍と市民の脱出は引きも切らなかった。人口のおよそ5分の4が市を脱出し、主要な部隊は武器・装備もろとも撤退していった。南京市の防衛は、わずかに5万人の兵士に任されていた。住民の5分の4は逃げ去っていたが、残留した者の大部分は、南京安全区国際委員会が設定しようとした、いわゆる「安全区」に避難していた。南京の政治および経済状況市の人口、およそ100万人のうち、現在20万~25万人が残留し、そのほとんどが貧民階級の人たちである。
(エスピー報告 12月10日後の主な報告)

※エスピー報告は、南京アメリカ大使館エスピー副領事が本国に送った、「南京事件」に関する報告書です。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/SP.html
★安全区の人口は20万~25万人だった。

エスピー報告だけでなく、国際委員会公式文書その他(下の写真)には、20万~25万とはっきり述べられています。食糧の配給の関係もあり、おおむね正確、すこし多め、と見なして良いでしょう。

2013-03-20 125119
写真)安全区の人口に関する史料一覧表--本当はこうだった南京事件(板倉由明著)より


★安全区の外には一般市民はほとんど居なかった。

『城壁の外側は中国人に、市内はその大部分が日本軍によって、焼き払われてしまったからだ。そこはいま誰も住んでいない。およそ二十万人の難民はかつての住宅地である安全区に収容されている。家や庭の藁小屋に寄り集まって、人々はかつがつその日をおくっている。多い所には六百人もの難民が収容されており、彼らはここから出ていくことはできない。』(シャルフェンベルク(ドイツ大使館南京分室事務局長)の記録 38年1月13日)
http://www.geocities.jp/kk_nanking/mondai/jinkou/jinkou03.htm

『12月6日 AP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。』(南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記)

『…貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていたが…』
第九号 日本大使館への手紙 一九三七年十二月十七日 ジョン・ラーベ

『このようにして安全地帯は設立され、憲兵と警察が一軒一軒安全地帯に移るように住民に勧告して回り、南京防衛軍司令官も12月8日に布告を出して、「非戦闘員の安全地帯への集結を求めた」ので住民も安全地帯へ転居するようになった』
12.8 ダーディン特電南京発 ニューヨークタイムズ

『南京安全地帯の記録(中国名:「南京安全区档案」徐淑希編纂)』の事例の編集に関与したベイツは、国民党中央宣伝部顧問ティンパーリーを通して『WHAT WAR MEANS(戦争とは何か)』のなかで次の重要なコメントを『南京安全地帯の記録』についてしている。

『…なお注意してほしいことは、ここに記録された事件はただ南京安全区内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上、無人地帯となっていたのであって、この期間中、ほとんど外国人の目撃者がなかったということである。…』
http://nanjinggenpatsu.com/timperleyjappendixa.html

以上、安全区の外には一般市民は殆どおらず、安全区の人口は20万~25万人だった。


なお、国民党軍は清野作戦を展開しており、周辺の民家など日本軍が利用しうるものは焼き尽くされています。そのような状況で安全区に避難しない人って、いったいどんなひとでしょうか?

『中国軍による焼き払いの狂宴(12月7日以降)…南京へ向けて15マイルにわたる農村地区では、ほとんどすべての建物に火がつけられた。村ぐるみ焼き払われたのである。中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施設が灰塵に帰した。…この中国軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルにのぼった。これは、南京攻略に先立って何ヶ月間も行われた日本軍の空襲による損害よりも大きい』(ニューヨークタイムズ、ティルマン・ダーディン)。

安全区外に人が居ることが確認されたことが事実だとしても、それは国民党側の命令つまり軍律に違反した空き巣、コソ泥の類い、いわゆる剽盗(戦場をうろついて軍隊につきまとい、略奪、窃盗、負傷者の虐待・殺害、死者の所持品の剥奪などをする行為)です。

国際法学者佐藤和男氏は以下のように述べています。

『戦争犯罪を構成する行為としては、(1)軍隊構成員による一般的交戦法規の違反行為、(2)軍隊構成員ではない個人の武力による敵対行為、 (3)間諜(スパイ)と戦時反逆、(4)剽盗(戦場をうろついて軍隊につきまとい、略奪、窃盗、負傷者の虐待・殺害、死者の所持品の剥奪などをする行為)の四種類に伝統的に大別されてきた。 』
『各国軍隊は、軍律を制定して、戦争犯罪(一般的交戦法規違反とは特に区別して戦時反逆を取 り上げている場合もある)を処罰の対象として規定し、軍律違反者たる戦争犯罪人を、軍の審判機関(軍律法廷)を通じて処罰するのが慣例であった。(P313-P314)
軍律法廷は純然たる司法機関ではなく、統帥権に基づく機関であって、むしろ行政機関、あるいはせいぜい準司法機関というべきものである。その行う審判は、機能的には軍事行動と把えるのが正確であり、その本来の目的は、戦争犯罪を行った敵対者の処断を通ずる威嚇によって、究極的には(占領地・作戦地帯における)自国軍隊の安全を確保することにあった。そのため、審判の手続は簡易にされ、軍罰(たいてい死刑)の執行は迅速であった。 』
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/16.html

つまり剽盗などは死刑になってもおかしくない戦争犯罪なのです。
仮に彼らが殺害されたとしても、軍律違反を犯した命知らずの戦争犯罪人に対する処罰に過ぎません。
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