保護主義は有益である ~ イギリスとインドの綿織物
『イギリスの東インド会社に支配される前のインドは、世界最大の「綿織物」生産大国だった。……インド産キャラコは、イギリスに綿織物の「市場」を創り出したのである。……これを見たイギリスの企業家たちが、自国の綿織物市場の拡大を「ビジネスチャンス」としてとらえない方が不思議というものだ。当然、イギリスの企業家たちは「綿織物の自給」を目論み、自国でも拡大中の「綿織物の市場」におけるビジネス拡大を図った。そのためには、政府を動かし、インド産の綿製品流入を食い止める必要がある。というわけで、イギリス政府は1700年、染色キャラコの輸入を法律で制限した。露骨なまでの「保護主義」でインド製品を自国市場から締め出し、国内の綿製品の産業を育成しようとしたわけである。さらに、イギリス政府は1720年に、再輸出用を除く、全ての綿布の輸入を禁止。インド産キャラコから自国市場を保護した上で、国内で綿製品の生産性を高めるための技術開発投資が拡大した。いわゆる産業革命である。……イギリスの綿織物の「生産性」は劇的に向上した。そして、イギリスは機械で大量生産される(しかも、安価)自国製の綿製品を、インド市場になだれ込ませたのである。手工業による生産が続き、生産性が低いインド産キャラコは、全く太刀打ちできなかった。技術開発で生産性向上に成功したイギリス政府は、インドに「自由貿易」を要求。相手国の「関税自主権」を取り上げた上で、自国産の綿織物を大量に輸出していった。』
以上、「亡国の農協改革」三橋貴明(飛鳥新社)p.79より
以上、「亡国の農協改革」三橋貴明(飛鳥新社)p.79より
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