南京事件(南京大虐殺)の定義~笠原十九司と秦郁彦による
『南京大虐殺事件、略称としての南京事件は、日本の陸軍ならびに海軍が、南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民にたいしておこなった、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体のことをいう。
事件発生の区域は、南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京攻略戦(中国にとって南京防衛戦)の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領地域でもあった。
事件発生の期間は、日本の大本営が南京攻略戦を下令し、中シナ方面軍が南京戦区に突入した37年12月4日前後からはじまる。大本営が中シナ方面軍の戦闘序列を解いた38年2月14日が南京攻略作戦の終了にあたるが、南京における残虐事件はその後も続いたので、南京事件の終焉は、日本軍の残虐行為が皆無ではないまでも(近郊農村ではあいかわらずつづいていた)、ずっと少なくなった3月28日の中華民国維新政府の成立時と考えることが出来る。ただし、37年8月15日から開始された海軍機の南京空襲は、南京攻略戦の前哨戦であり、市民にたいする無差別爆撃は、南京事件の序幕といえるものだった。』
(笠原十九司「南京事件」p.214)
事件発生の区域は、南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京攻略戦(中国にとって南京防衛戦)の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領地域でもあった。
事件発生の期間は、日本の大本営が南京攻略戦を下令し、中シナ方面軍が南京戦区に突入した37年12月4日前後からはじまる。大本営が中シナ方面軍の戦闘序列を解いた38年2月14日が南京攻略作戦の終了にあたるが、南京における残虐事件はその後も続いたので、南京事件の終焉は、日本軍の残虐行為が皆無ではないまでも(近郊農村ではあいかわらずつづいていた)、ずっと少なくなった3月28日の中華民国維新政府の成立時と考えることが出来る。ただし、37年8月15日から開始された海軍機の南京空襲は、南京攻略戦の前哨戦であり、市民にたいする無差別爆撃は、南京事件の序幕といえるものだった。』
(笠原十九司「南京事件」p.214)
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