http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-11962265138.html山本博一(ひろ)さん、突然すみません。
よろしければ以下の私の疑問についてお答えください。
最初の質問です。
山本
>リフレ派は金融政策を「主」として、財政政策は「従」としていますが、「従」とは不要だという意味ではありません。
たしかにそのように発言しているリフレ派は存在します。
しかし一方で、
高橋洋一「財務省の逆襲」p.52
『経済学においても、
先進国では公共投資の需要創出効果はほとんどないとされている。これを論証したのが、1999年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のロバート・マンデル教授による「マンデル=フレミング効果」である。マンデル=フレミング効果とは、おおざっぱに言えば、「変動相場制の下で、国債発行によって財政支出を行うと、それを行わなかった場合に比べて市場金利が高くなり、為替レートが自国通貨高となり、それにより輸出が落ちて輸入が増え、公共支出の増加を相殺してしまう」というものだ。(中略)変動相場制の下では公共投資や減税などの財政政策は、十分な金融緩和がない限り円高を招き、輸出減、輸入増により需要を海外に流出させてしまう。このため財政政策は、少なくとも単独では、景気回復には効果がない。
要は「変動相場制の下では公共投資は景気には影響しない」のだ。公共投資を景気対策の目的で行うのは無意味である。』
原田泰「公共事業が持つ景気抑制効果 第2の矢の再考を」(WEDGE2014年3月号)
「マンデル=フレミング・モデルというものがある。政府支出の増大が金利を引き上げ、金利の上昇が為替を増価させて輸出を減少させ、結局、政府支出の景気刺激効果が、輸出減少の景気抑制効果とキャンセルアウトして、結果的に政府支出の増大が景気刺激効果を持たないというモデルである。1990年代以降、政府支出の増大で景気刺激策を行ってきたときには、金融緩和をしていなかったので、政府支出の効果はほとんどなかった。」
このように「先進国では公共投資の需要創出効果はほとんどないとされている」「公共投資を景気対策の目的で行うのは無意味」「政府支出の効果はほとんどなかった」などと発言して憚らない人もいます。
マンデル=フレミング・モデルは、そもそも完全資本移動を仮定した小国開放経済モデルです。
質問1)
どうして浜田宏一氏をはじめとするリフレ派は、為替リスクに対して保守的な経済大国日本の経済政策を論ずるのにMFモデルを使おうとするのでしょうか?
こんな非現実的なモデルまで持ち出してリフレ派が財政政策無効論を展開するのはなぜでしょうか?
参考)飯田泰之氏
「財政政策の効果の低下については、中立命題、マンデル・フレミング効果などさまざまな仮説が提示されてきましたが、これらが現在の日本経済に強く作用しているとは考えづらい状況です。」
http://synodos.jp/economy/7198/2次の質問です。
山本
>しかし、当時はリーマンショック直後で、現在のように異次元の金融緩和と公共事業を吹かしていない状態。
>そのような状況なら給付金よりも公共事業をやるべきじゃないかという結論になるのも当然だと思います。
リフレ派はMFモデルを持ち出して、「金融緩和なき財政政策は効果無し」と繰り返し主張しています。
5年前の日銀は、今の黒田総裁より金融緩和に消極的でした。
質問2)
その当時ならリフレ派の理屈では「金融緩和が不十分で財政政策が無効もしくはほぼ無効」になるはずで、あなたの「公共事業をやるべきじゃないかという結論になるのも当然」というのはおかしいのではないでしょうか?それに、リーマンショックという突発的な景気変動に公共事業拡充で対応するのは、あなたが懸念する「供給制約上」無理なのではないでしょうか?
そして黒田総裁の今こそ「金融緩和が十分だから財政政策をやるべき」という結論になるのではないでしょうか?
つぎの質問です。
山本
>供給制約がある中で無理に公共事業を増やすと、人件費と建材費の高騰を招き、企業の投資コスト、住宅の価格を引き上げてしまいます。結果、企業の設備投資や、住宅投資がへる
小泉政権での公共事業バッシングでゼネコンはスリム化を迫られ、以来、日本はデフレが続いています。だからこそ今は供給制約に悩まされているのです。それはともかく、
質問3)
「人件費と建材費の高騰」がどうしてダメなのですか?
それこそがデフレ脱却の目標なのではないですか?
「企業の設備投資や、住宅投資がへる」とおっしゃいますが、公共事業の増加で建設機械の需要が高まって設備投資が増えることや、労働者の賃金が上がってマイホームに手が届く国民が増えて住宅購入者が増えること、自動車販売台数の増加などをどうして考慮しないのですか?
長期的かつ段階的な公共事業の拡大(もちろん際限なく増やすわけではなく小泉政権前の水準を目標に)を国民的コンセンサスにすれば、労働力の売り手市場になり、長期的には他の業種での賃金上昇にもつながると思いますがいかがでしょうか?
参考)飯田泰之氏
「2000年代以降日本では公共事業の規模の縮小が続きました。(中略)そのような業界に貴重な時間を使って教育を受け、就業しようという労働者は少ないでしょうし、そのような人材育成を行おうという企業も少ない。東日本大震災に起因する一時的な資材不足だけではなく、このような人材の問題が土木・建設業の供給制約の原因ではないかと私は考えています。(中略)
このような状況に対して必要なのは土木・建設業界の先行きを明示することだと考えられます。社会インフラ整備計画が立案され、一定の規模の事業が十年以上にわたって継続的に行われることが示されたならば、企業による人材育成と設備投資や個人の技能習得が行われやすくなる。」
http://synodos.jp/economy/7198/2つぎの質問です。
山本
>状況が変われば臨機応変に対応を変える。これが第二の矢「機動的な財政政策」の意味だと思うのですが、違うのでしょうか?
私は逆です。
ご承知の通り、公共事業の供給能力を増やしたり減らしたりすることは容易ではありません。
問題なのは小泉政権以来の公共事業バッシングでゼネコンがスリム化を迫られ労働力の買い手市場になってしまったことで、これが国民所得の低下を招いたひとつの要因だと思います。
それはともかく、
質問4)
金融政策は日銀の決定だけで柔軟に調整できますが、公共事業はそうはいきません。国民の命を守る災害対策や老朽化対策、そして国土強靱化のためにも、公共事業費は小泉政権以前の水準に戻して安定させるべきです。
むしろ、景気や外的要因への対応にこそ、日銀の決定だけで柔軟かつ迅速に対応できる金融政策が適していると考えます。
この点はいかがお考えですか?
次の質問です。
山本
>クルーグマン「余地はいくらでも残っています。繰り返しますが、日本の財政政策は正しい方向に向かっています。しかしもっとやるべきなんです。」
質問5)
「もっとやるべき」というクルーグマン氏の発言が、どうして直前の「財政政策」ではなくて、かなり遡った「金融政策」のことを指しているとおかんがえなのでしょうか?
仮に彼が金融政策のことを意図していたとしても、金融政策は黒田総裁がもう十分すぎるほどやったのではないでしょうか?
以下のクルーグマン氏の記述も踏まえれば、クルーグマン氏は今の日本に、財政政策をこそ「もっとやるべき」と言うと思いませんか?
ポール・クルーグマン
「危機開始から四年経った今、財政政策に関する優れた研究がますます増えつつある--そうした研究は概ね、財政刺激は有効だと裏付けるもので、暗黙にもっと大規模な財政刺激をすべきだと示唆している。」
「通常は、不景気に対する防御の第一陣はFRBで、経済がつまづいたら金利を下げるのが通例だ。でもFRBが通常コントロールする短期金利は既にゼロで、それ以上は下げられなかった。すると残るは当然ながら、財政刺激策だ--一時的に政府支出を増やすか減税し、全体的な支出を支援して雇用創出するのだ。そしてオバマ政権は、確かに景気刺激法案を設計して施行した。それがアメリカ回復再投資法だ。残念ながら、総額7870億ドルのこの財政刺激は、必要な規模よりはるかに小さすぎた。」
(「さっさと不況を終わらせろ」(2012)より)
おまけ)
山本
>手段(公共事業)が目的化してはいけません。
そうですね。手段(金融政策)が目的化してはいけません。
藤井聡氏は公共事業が目的なのではなく、国土強靱化によって国民が豊かで安全に暮らせる国を作ることが目的なのだと思います。誤解してはいけませんよ。
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